南北朝時代の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。号は空華道人(くうげどうにん)。土佐(高知県)長岡の人。14歳で無常を観じ、翌年叡山(えいざん)で受戒、17歳で禅に転じ夢窓疎石に師事する。夢窓の寂後は建仁寺の竜山徳見(りゅうざんとくけん)(1284―1358)に師事し、鎌倉瑞泉寺(ずいせんじ)、保寿寺に住し、報恩寺を開創した。1379年(天授5・康暦1)法兄の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)の招きにより建仁寺に入り、1386年(元中3・至徳3)将軍足利義満(あしかがよしみつ)に請われて南禅寺に住した。彼の住院中に南禅寺は「五山之上」に昇位。詩文の才に優れ、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)とともに五山文学の双璧(そうへき)とされる。1388年4月4日寂。『語録』『空華集』『東山外集抄』『空華日工集(にっくしゅう)』などの著がある。
[石川力山 2017年6月20日]
南北朝時代の臨済宗夢窓派の禅僧。南禅寺44世。号は空華(くうげ)。土佐(高知県)の人。14歳で比叡山に登壇受戒,17歳のとき上京して夢窓疎石に参禅すること10年,ついにその法を継いだ。1351年(正平6・観応2)夢窓が示寂すると,天竜寺から建仁寺に移り,竜山徳見に従った。のち鎌倉公方足利基氏により鎌倉円覚寺に招かれ,ついで常陸(茨城県)の勝楽寺,鎌倉善福寺,瑞泉寺に歴住し,1371年(建徳2・応安4)法恩寺の開山になるなど,20余年鎌倉にあって,夢窓派の関東における振興に努め,足利基氏・氏満をはじめ,上杉朝房・能憲など関東武将の厚い帰依を受けた。80年(天授6・康暦2)将軍義満の招請により上洛,建仁寺に住したが,86年(元中3・至徳3)には南禅寺住持となり,同寺山内に慈氏院を創建して退隠した。義堂は将軍はじめ公武の帰依を集め,夢窓派勢力の拡大に貢献した。義満が相国寺(しようこくじ)を建立してこれを五山に列位しようとして義堂に諮ったとき,義堂は南禅寺を五山の上とするよう意見を述べ,これにより五山制度が確定した。義堂は円満な人格の持主といわれ,内典外典に通じ,とくに詩文の才に長じていたので,絶海中津(ぜつかいちゆうしん)とともに,五山文芸の双璧とうたわれ,その詩は明人も賞嘆したという。語録4巻のほか,詩文集《空華集》,先人の名詩を集めた《貞和祖苑聯芳集》,日記の《空華日工(くうげにつく)集》などがある。
執筆者:藤岡 大拙
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(飯塚大展)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1325.閏1.16~88.4.4
南北朝期の禅僧。別号空華(くうげ)道人。土佐国生れ。俗姓は平氏。はじめ比叡山で台密を学ぶが,17歳で夢窓疎石(むそうそせき)に参禅,のち法を継いだ。1359年(延文4・正平14)足利基氏(もとうじ)の招きで鎌倉円覚寺に住し,71年(応安4・建徳2)上杉氏に請われて報恩寺(現,廃寺)の開山となる。80年(康暦2・天授6)足利義満の命で帰京。建仁寺・等持院に住し,86年(至徳3・元中3)南禅寺住持。義堂の意見により南禅寺は五山の上におかれた。絶海中津(ぜっかいちゅうしん)と五山文学の双璧と称された。「貞和類聚祖苑聯芳集」「義堂和尚語録」や,漢詩文集「空華(くうげ)集」,日記「空華日用工夫略集」などがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…虎関師錬は一山一寧(いつさんいちねい)より学んだので,やや古風な作風を有するが,雪村は在元22年の長きにわたり,中国人の文脈句法を体得した人であり,中巌円月は在元の期間は雪村友梅ほど長くないが,その文脈句法の体得は雪村以上で,とくに四六文の学習に力を注いだ人である。 南北朝に入ってからは,義堂周信(ぎどうしゆうしん),絶海中津(ぜつかいちゆうしん),古剣妙快(こけんみようかい),中恕如心(ちゆうじよじよしん)などが出て,このうち義堂周信は入元しなかったがその作品の骨格はまったく中国人と同等なものを作りえて,中国人からさえ,その作品は中国人のものと誤られたほどであった。絶海中津は明の時代に入ってから渡海し,元代の人が偈頌(げじゆ)といって仏教臭のある詩体を好んで作ったのに対して,まったく士大夫風の俗体の詩文をよくし,また中巌円月についで,四六文の作成にいそしんだ。…
…五山の禅僧義堂周信(号は空華)の日記。広本48巻はすでに失われ,現存するものは略本4巻の《空華日用工夫略集》である。…
…他の国人領主層の外護した禅寺には大平寺(一条氏),細勝寺(細川氏),長林寺(津野氏),妙蓮寺(大平氏),雪蹊寺(長宗我部氏),浄貞寺(安芸氏),予岳寺(山田氏)などがある。文芸では五山文学の双璧とされる義堂周信,絶海中津,これを継いだ旭岑瑞杲(別号待雨)などがある。ただ南学の祖として喧伝される南村梅軒は,大高坂芝山の捏造(ねつぞう)した架空の人物である。…
…中世には,津野荘一帯に勢力を有した津野氏領の最奥の地で,当村から檮原町にかけては津野山郷と呼ばれた。五山文学の双璧と称される義堂周信,絶海中津はともに津野氏の一族で,船戸の出身と伝える。津野山郷は紙や茶の生産が盛んで,江戸時代には土佐藩が商品生産物の統制を強化,藩指定問屋の不当に抗して1755年(宝暦5)津野山騒動が起こった。…
※「義堂周信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新