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春屋妙葩 しゅんおくみょうは

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

春屋妙葩
しゅんおくみょうは

[生]応長1(1311).甲斐
[没]元中5=嘉慶2(1388).8.13. 京都
南北朝時代の禅僧。叔父夢窓疎石の法を継いで伏見大光明寺天竜寺に住したが,南禅寺山門造営にからむ叡山など旧仏教側の強訴事件に対する室町幕府の措置を不満として,建徳2=応安4 (1371) 年丹後雲門寺に隠棲した。

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デジタル大辞泉の解説

しゅんおく‐みょうは〔シユンヲクメウハ〕【春屋妙葩】

[1311~1388]南北朝時代の臨済宗の僧。甲斐の人。伯父の夢窓疎石に参禅。天竜寺南禅寺などの住持を経て、初代僧録司となった。足利義満の政治的顧問の立場にあり、相国寺建立に協力。また、五山版の刊行に努めた。著「雲門一曲」など。智覚普明国師

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百科事典マイペディアの解説

春屋妙葩【しゅんおくみょうは】

南北朝時代五山禅僧。夢窓疎石の甥。夢窓に師事。足利義満の帰依を得,全国の禅寺・禅僧を統括する僧禄司(そうろくし)に就任。五山版の刊行を推進した。
→関連項目玉【えん】梵芳鹿王院

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

春屋妙葩 しゅんおく-みょうは

1312*-1388 鎌倉-南北朝時代の僧。
応長元年12月22日生まれ。臨済(りんざい)宗。夢窓疎石(むそう-そせき)の甥(おい)。疎石の法をつぎ,天竜寺,臨川寺,南禅寺などの住持となる。将軍足利義満の信任をうけ,初代の天下僧録司として五山を統轄した。相国寺創建に際して,故疎石を開山(かいさん)として勧請(かんじょう)し,自らは2世となった。嘉慶(かきょう)2=元中5年8月12日死去。78歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。別号に芥室,不軽子。諡号(しごう)は智覚普明国師。著作に「智覚普明国師語録」,詩集に「雲門一曲」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

春屋妙葩

没年:嘉慶2/元中5.8.12(1388.9.12)
生年:応長1(1311)
南北朝期の臨済宗の僧,五山文学僧。芥室,不軽子とも称する。夢窓疎石の俗甥にしてその法嗣。嘉暦2(1327)年から8年間,鎌倉浄智寺竺仙梵僊の会下にあり,学芸の薫陶を受けた。梵唄にみる音楽的資質は高く評価された。帰京後は夢窓に随侍し,同派の五山内主流派形成に尽力した。夢窓示寂後は無極志玄を補佐し,無極なきあとは竜湫周沢 と共に同派の領袖となる。応安1/正平23(1368)年南禅寺山門破却事件以降の問題処理をめぐり,管領細川頼之と鋭く対立し,春屋とその同調者は五山叢林から離脱,丹後雲門寺に隠棲する。やがて頼之が失脚し(1379),管領に斯波義将が復帰すると,かねてから密接な関係にあった春屋は五山の表舞台に戻り,南禅寺住持,僧録などを歴任する。一方で内典外典にわたる五山版の出版事業に業績を残した。作品に『雲門一曲』『智覚普明国師語録』などがある。<参考文献>今枝愛真『中世禅宗史の研究』

(飯塚大展)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しゅんおくみょうは【春屋妙葩】

1311‐88(応長1‐元中5∥嘉慶2)
南北朝時代の五山の代表的禅僧。諱(いみな)は妙葩,字は春屋。居所を芥室といい,みずから不軽子,西河潜子と称した。甲斐国の平氏の出身で,夢窓疎石の甥にあたる。7歳で美濃国の虎渓山法華経を学び,12歳で甲斐国恵林(えりん)寺の道満に従ったが,17歳のとき夢窓について出家した。のち来朝僧の竺仙梵僊(じくせんぼんせん),清拙正澄(せいせつしようちよう)などについて大陸禅を学んだが,ついに夢窓の法を継いだ。

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大辞林 第三版の解説

しゅんおくみょうは【春屋妙葩】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

春屋妙葩
しゅんおくみょうは
(1311―1388)

南北朝時代の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。芥室(かいしつ)、不軽子(ふきょうし)、西河潜子(せいがせんし)などと称する。甲斐(かい)(山梨県)の人。夢窓疎石(そせき)の俗姪(ぞくてつ)とされる。17歳で出家し、竺仙梵僊(じくせんぼんせん)、清拙正澄(せいせつしょうちょう)らに参じ、夢窓の鉗鎚(けんつい)を受けて法を嗣(つ)ぐ。政治的手腕と経営の才に優れ、等持(とうじ)寺、大光明(だいこうみょう)寺などに歴住、炎上した天竜寺や臨川(りんせん)寺を再興した。1363年(正平18・貞治2)天竜寺、79年(天授5・康暦1)南禅寺に住し、翌春、智覚普明(ちかくふみょう)国師の号を賜る。ついで後円融(ごえんゆう)天皇より初代の僧録司(そうろくし)に任命される。足利義満(あしかがよしみつ)の相国(しょうこく)寺創建に際し、夢窓を勧請(かんじょう)して自ら同寺の2世となる。また各地に禅院を建立して夢窓派の興隆に寄与、五山版の刊行にも尽くした。88年(元中5・嘉慶2)8月12日78歳で示寂。『普明国師語録』『天龍(てんりゅう)紀年考略』『夢窓国師年譜』『雲門一曲』などの著がある。[石川力山]

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世界大百科事典内の春屋妙葩の言及

【相国寺】より

…足利義満が祖父尊氏の天竜寺建立にならって当寺建立を発願,1382年(弘和2∥永徳2)仏殿,法堂(はつとう)の工事に着手した。義満は春屋妙葩(しゆんおくみようは)のすすめにより,春屋の師,夢窓疎石を勧請開山(かんじようかいざん)とし,春屋は2世となった。86年(元中3∥至徳3)五山第2位に列せられ(五山・十刹・諸山),92年(元中9∥明徳3)3世空谷明応(くうこくみようおう)のもとで,盛大な慶讃大法会が営まれたが,その様子は《相国寺供養記》に詳しい。…

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