近衛道嗣(読み)このえ・みちつぐ

朝日日本歴史人物事典 「近衛道嗣」の解説

近衛道嗣

没年嘉慶1/元中4.3.17(1387.4.5)
生年正慶1/元弘2(1332)
南北朝時代公家。父は近衛基嗣。母は家女房。暦応1/延元3(1338)年従三位。内大臣,左右大臣を経て康安1/正平16(1361)年関白氏長者となる。号は後深心院。日記に『愚管記』(1356~83,途中一部を欠く)があり,その中で足利義詮執奏の勅撰集『新拾遺集』を衆人同意の勅撰集ではないと記し,義詮を批判している。『実冬公記』には,道嗣が足利義満とは昵懇であったが気遣いも多く,それが病を招き死に至ったとあり,詩歌はその道に達するほどではなかったが,当代においては数寄人と評され,その死は義満を落胆させたとの記述もみえる。なお二条良基選『G7EDF玖波集』に漢文の序を寄せており,互い親交がうかがわれる。

(湯川敏治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛道嗣」の解説

近衛道嗣(2) このえ-みちつぐ

1332-1387 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
正慶(しょうきょう)元=元弘(げんこう)2年生まれ。近衛基嗣(もとつぐ)の子。右大臣,左大臣などをへて,康安元=正平(しょうへい)16年(1361)関白,氏長者となる。従一位。日記「愚管記」がある。至徳4=元中4年3月17日死去。56歳。号は後深心院。

近衛道嗣(1) このえ-みちつぐ

1217-1242 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
建保(けんぽ)5年生まれ。近衛道経(みちつね)の次男。侍従,左近衛(さこんえの)中将などを歴任し,仁治(にんじ)元年権(ごんの)中納言。従二位。仁治3年7月13/24日死去。26歳。号は北小路

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の近衛道嗣の言及

【愚管記】より

…南北朝時代の貴族近衛道嗣の日記。記事は1354年(正平9∥文和3)より83年(弘和3∥永徳3)に至るが,現存しない部分も多い。…

※「近衛道嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android