追廻田畑町
おいまわしたばたちよう
[現在地名]熊本市下通一丁目・花畑町・新市街
高田原地域の西側にかつて坪井川の本流路があったが、加藤清正が流路付替工事をし、旧本流は小川として痕跡をとどめ、旧本流の河川敷も低地となり、田地として使用することとなった。この地域を田畑(端)と称し、俗称的には追廻田畑と称した。現在の市役所南側からほぼ南北に新市街をぬけ、南の白川付近に及ぶ地域で、高田原地域では最も低地で、異なった風景をもつ。追廻田畑町の町域は、現在の下通一丁目一一番地西側・花畑町一三番地東側・新市街二番地東側・同四・八・一一番地中央部である。江戸時代や明治期(一八六八―一九一二)の地図によると、田畑をぐるりと回って北端から西の花畑と追廻馬場へ至る通りと、西端から新鍛冶屋町に至る通りが作られ、田畑を取囲む形となる。追廻の俗称も、田畑周辺の通りを馬術稽古用に馬を追回すため利用したことによるのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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