通俗三国志(読み)ツウゾクサンゴクシ

デジタル大辞泉 「通俗三国志」の意味・読み・例文・類語

つうぞくさんごくし【通俗三国志】

江戸中期の読本よみほん。「三国志演義」の翻訳。50巻。湖南文山訳。元禄2~5年(1689~1692)刊。後漢末の中国大乱舞台に、群雄蜂起のありさまを描く。

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精選版 日本国語大辞典 「通俗三国志」の意味・読み・例文・類語

つうぞくさんごくし【通俗三国志】

  1. 江戸中期の翻訳書。五一巻。湖南文山訳。元祿二~五年(一六八九‐九二)刊。明の羅貫中の「三国志演義」(李卓吾先生批評三国志)の忠実な翻訳。魏・呉・蜀の興亡虚構をもまじえて叙するが、特に蜀の劉備諸葛孔明同情をそそぎ、蜀を漢の正統とする。以後の中国小説の翻訳・翻案流行のきっかけを作った。

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世界大百科事典(旧版)内の通俗三国志の言及

【演義体小説】より

…南宋のころ,宮廷抱えの講釈師が史書を進講したのが始まりであるとされている。日本には軍談物の概念で受けいれられ,《通俗三国志》(1690)のごとき翻訳も試みられたが,本格的に読まれるようになったのは岡島冠山ら唐話学者出現以後のことで,とくに《通俗忠義水滸伝》の読解は,日本の小説界に大きな影響を与えることになった。建部綾足(たけべあやたり)の《本朝水滸伝》(1773)は,本格的な演義体小説として書かれた最初の書で,《南総里見八犬伝》に至って完成された長編伝奇の形式を日本にもたらしている。…

【三国演義】より

…そののち多種多様の刊本が出版されたが,120回(章)に分かつ毛宗崗(もうそうこう)本が17世紀の末以来広く流布している。ただし日本では元禄2年(1689)湖南の文山(ぶんざん)が和訳した《通俗三国志》が久しく広く読まれているのだが,その訳の底本となったのは毛本よりやや早い李卓吾本とよばれるものだから,その内容が毛本とは少しく出入りがあることは注意しなければならない。《三国演義》は魏・呉・蜀三国の分立の世を舞台とし,そこで争われる武勇と知謀の物語である。…

※「通俗三国志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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