三国志演義(読み)サンゴクシエンギ

デジタル大辞泉 「三国志演義」の意味・読み・例文・類語

さんごくしえんぎ【三国志演義】

中国の長編小説。120回。四大奇書の一。羅貫中の作といわれる。「三国志」に基づき、三国時代の歴史を虚構を交えて演義したもの。しょく劉備りゅうび関羽張飛諸葛孔明ら英雄豪傑の活躍と運命を通俗的に描く。日本では江戸時代に訳出された。三国志通俗演義三国演義

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精選版 日本国語大辞典 「三国志演義」の意味・読み・例文・類語

さんごくしえんぎ【三国志演義】

  1. 中国の通俗小説。四大奇書の一つ。二四巻二四〇回または一九巻一二〇回。元の羅本(字(あざな)は貫中)作といわれる。「三国志」を読み物風に敷衍(ふえん)した物語で、唐代に発生した講釈の種本をまとめたもの。誓約や忠誠を重んじ、人間模様を雄大華麗に描き通俗的興味に満ちている。軍学書ともなり、江戸時代には湖南文山訳著の「通俗三国志」が多くの読者をもち、後代への影響は大きい。三国演義。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三国志演義」の意味・わかりやすい解説

三国志演義
さんごくしえんぎ

中国の長編歴史小説。後漢(ごかん)末から魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)三国の鼎立(ていりつ)時代を経て晋(しん)による天下統一に至る歴史を、前半は劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)3兄弟らの武勇を、後半は諸葛孔明(しょかつこうめい)の知謀を中心に据え、正史である陳寿の『三国志』に基づきつつ、七分の事実に三分の虚構を交えて敷衍(ふえん)(演義)した小説。『水滸伝(すいこでん)』『西遊記(さいゆうき)』『金瓶梅(きんぺいばい)』とともに四大奇書の一つ。

[大塚秀高]

成立

この書の長い成立史には三つの大きな節目がある。(1)『三国志平話(へいわ)』の成立と刊行、(2)明(みん)初の羅貫中(らかんちゅう)による『三国志演義』の完成、(3)清(しん)初の毛声山(もうせいざん)・毛宗崗(そうこう)父子による「毛宗崗本」の刊行がそれである。三国の史実をテーマとした講釈が唐末にすでに行われていたことは、李商隠(りしょういん)の詩などにうかがえる。これが宋(そう)代では講史(講釈の一種)のなかでも「説三分」とよばれ、五代史語りとともに絶大な人気を博していた。この講釈のテキストの流れをくむと思われるのが、元の至治年間(1321~23)に刊行された『三国志平話』であり、元末明初にかけての覆刻本『三分事略』である。羅貫中はこれをもとに、その枕(まくら)となっている司馬仲相(しばちゅうしょう)転生談を除くなど、荒唐な面を史書によって改め、蜀漢正統論の立場にたって劉備・曹操(そうそう)の善悪色分けをより明確にし、張飛中心を関羽中心に書き換える一方、『三国志』の裴松之(はいしょうし)の注や当時の三国劇、民間説話をも利用して10倍ほどに膨(ふく)らませ、『三国志演義』をつくった。この羅貫中の原本にもっとも近いとされているのが、24巻240節よりなる「嘉靖(かせい)本」である。その後、万暦年間(1573~1619)に、早く説唱詞話として語られていた花関索(かかんさく)説話を取り込んだ刊本が相次いで刊行されたが、このうちの李卓吾(りたくご)評本に基づき、文語と口語を人物の性格・身分などによって意識的に使い分けた演義体を、より読書人好みに改めた19巻120回の「毛宗崗本」が刊行されるに及び、以後はもっぱらこれのみが広く流布するに至った。

[大塚秀高]

あらすじ

後漢末の乱れた世に、張角が黄巾(こうきん)の乱を起こす。これを憂えた漢室の末裔(まつえい)劉備が関羽・張飛と義兄弟の契りを結び(桃園結義)、各地に転戦して大功をあげたが、しかるべき論功行賞はなく、不遇の日々を送る。そのころ朝廷では宦官(かんがん)と外戚(がいせき)の権力争いが頂点に達し、朝権は董卓(とうたく)に壟断(ろうだん)される。董卓暗殺に失敗した曹操は天下の諸侯にその誅滅(ちゅうめつ)を呼びかける。これに応じた諸侯のなかで、江南の地の利を得た孫権と、諸葛孔明を三顧(さんこ)の礼をもって参謀とした(三顧草廬(そうろ))劉備とが頭角を現す。劉備はつねに劣勢にあったが、呉と連合して赤壁(せきへき)で曹操の軍船を焼討ちにし、魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)三国の鼎立(ていりつ)がここになった。しかし呉・蜀の間には荊州(けいしゅう)の帰属をめぐって争いが絶えず、これがために関羽、張飛が相次いで死ぬに及び、劉備は孔明の反対を押し切って呉を討つべく大軍を起こすが、惨敗を喫して白帝城にて死ぬ。孔明は劉備の子禅(ぜん)を帝位につけ、呉と和解し、中原(ちゅうげん)の奪回を目ざしてしばしば打って出るが、ついに志を果たさぬまま五丈原(ごじょうげん)で病没した。蜀はその30年後に魏に滅ぼされ、呉も、魏の禅譲を受けたかつての孔明の好敵手司馬懿(しばい)の子孫の建てた晋(しん)によって滅び、天下は晋によって統一された。

[大塚秀高]

影響

『三国志演義』の出現はあらゆる時代の演義の誕生を促したが、これを凌駕(りょうが)する作品はついに現れなかった。他の作品が史実にとらわれ、その積み重ねに終始したためと、三国鼎立という状況が小説化するのに向いていたからといえよう。日本では湖南文山(こなんぶんざん)訳の『通俗三国志』が1689~92年(元禄2~5)に刊行されて以来、いまに至るまで人々に親しまれている。

[大塚秀高]

『小川環樹・金田純一郎訳『三国志』全10冊(岩波文庫)』『立間祥介訳『中国古典文学大系26・27 三国志演義』(1968・平凡社)』『湖南文山訳『通俗三国志』全10巻(1982~83・第三文明社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三国志演義」の意味・わかりやすい解説

三国志演義
さんごくしえんぎ
San-guo-zhi yanyi

中国,口語章回小説。元末明初の羅貫中の作。 120回。後漢末に魏,呉,蜀の3国が天下を争った史実をもとにした歴史小説。3国の英雄たちの物語は宋代に「説三分」と呼ばれ,都市の盛り場でそれだけを語る講談師がいたほど人気があり,元の至治年間にはその台本をまとめた『全相三国志平話』が出された。その系統をひく俗間の伝承を羅貫中が集大成し,正史『三国志』を参考にして史実に近づけ,小説としたもの。魏を正統王朝とする正史に対しその初代皇帝曹操を悪玉に仕立て上げ,民衆の感情であった蜀漢正統論に立って,武人の典型関羽,生一本な野人の張飛,深謀誠忠の人諸葛亮 (孔明) などの活躍をいきいきと描いて広く愛読された。日本では天竜寺の僧が訳した『通俗三国志』 (1689) をはじめ,全体または一部を素材とした翻案は多い。『三国志通俗演義』とも呼ばれ,『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』とともに四大奇書といわれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三国志演義」の解説

三国志演義
さんごくしえんぎ

羅貫中が著した明代の長編歴史小説。原名は『三国志通俗演義』。「四大奇書」の1つ
24巻。正史の『三国志』を中心に,すでに北宋代から講釈師によって語りつがれ,絵入りの読み本や演劇に仕組まれて民衆に親しまれていた三国の物語を,一つに吸収し高めたもの。弱少の蜀漢を正統とし,劉備 (りゆうび) ・関羽 (かんう) ・張飛 (ちようひ) ・諸葛亮 (しよかつりよう) を英雄としてたたえている。文語まじりの口語文で英雄豪傑の活躍を力強く描き,『水滸 (すいこ) 伝』と並ぶ中国民衆文学の傑作とされている。

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とっさの日本語便利帳 「三国志演義」の解説

『三国志演義』

「全相三国志平話」などから、羅貫中が作(平話とは講釈のこと)。後漢末の争乱の時代に、皇帝劉氏の末裔として天下争覇に立ち、蜀を興した劉備を主役に、義兄弟の契りを結んだ関羽と張飛、軍師諸葛亮(字は孔明)、さらには魏の覇王曹操、太尉司馬懿(仲達)や呉の孫権、軍師周瑜などを脇役・敵役に展開する歴史物語。司馬炎による晋朝の成立、呉の滅亡をもって終わる。『三国演義』とも。

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