進藤一馬(読み)シントウ カズマ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「進藤一馬」の解説

進藤 一馬
シントウ カズマ


肩書
元・福岡市長,元・衆院議員(自民党)

生年月日
明治37年1月1日

出生地
福岡市西職人町(現・福岡市中央区舞鶴)

学歴
早稲田大学政経学部〔大正15年〕卒

経歴
昭和4年東方会に入って中野正剛秘書となり、右翼理論家として活動。三宅雪嶺主筆「我観」編集署名人となる。10年九州日報社取締役、19年玄洋社社長に就任。戦後A級戦犯。出所後、33年衆院議員に当選。4期つとめた。40年通産政務次官、42年法務政務次官となり、47年福岡市長に転じる。59年9月4選を果たしたが、高齢のため61年末に任期途中で引退。62年3月福岡市美術館長に就任。

受賞
勲二等瑞宝章〔昭和49年〕 福岡市名誉市民〔昭和62年〕 勲一等瑞宝章〔昭和62年〕

趣味
柔道(6段) 尺八

没年月日
平成4年11月28日

家族
父=進藤 嘉平太(玄洋社社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「進藤一馬」の解説

進藤 一馬
シントウ カズマ

昭和期の政治家,右翼運動家 元・福岡市長;元・衆院議員(自民党)。



生年
明治37(1904)年1月1日

没年
平成4(1992)年11月28日

出生地
福岡市西職人町(現・福岡市中央区舞鶴)

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和49年〕,福岡市名誉市民〔昭和62年〕,勲一等瑞宝章〔昭和62年〕

経歴
昭和4年東方会に入って中野正剛の秘書となり、右翼理論家として活動。三宅雪嶺主筆「我観」編集署名人となる。10年九州日報社取締役、19年玄洋社社長に就任。戦後A級戦犯。出所後、33年衆院議員に当選。4期つとめた。40年通産政務次官、42年法務政務次官となり、47年福岡市長に転じる。59年9月4選を果たしたが、高齢のため61年末に任期途中で引退。62年3月福岡市美術館長に就任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「進藤一馬」の解説

進藤一馬 しんとう-かずま

1904-1992 昭和時代の政治家。
明治37年1月1日生まれ。父進藤喜平太が後援していた東方会にはいり,中野正剛(せいごう)に師事し,総務部長。九州日報社取締役,東方時報社長をつとめ,昭和19年玄洋社社長となる。33年衆議院議員(当選4回,自民党),47年福岡市長。平成4年11月28日死去。88歳。福岡県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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