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東方会 とうほうかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東方会
とうほうかい

1936年5月 25日中野正剛らによって組織された立憲民政党系の国家主義的政治団体。政界最右翼の位置にあって,機関誌『東方時論』を発行し,戦時体制の確立に協力した。一時,近衛文麿によって始められた新党運動である新体制運動高揚に押され,40年文化団体振東社,新東塾となったが,翌年再び東方会として復活した。しかし 42年東条英機内閣の翼賛選挙を拒否,東条打倒を策したため,43年 10月中野は検挙され,会も東方同志会に改組させられた。同年 12月 26日の中野の自害によって会も壊滅した。第2次世界大戦後,復活の動きもあったが実現しなかった。

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デジタル大辞泉の解説

とうほう‐かい〔トウハウクワイ〕【東方会】

昭和11年(1936)中野正剛が結成したファッショ的政治団体。新体制運動に協力したが、東条内閣には反発。同18年、中野の自殺で崩壊。

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百科事典マイペディアの解説

東方会【とうほうかい】

1936年に国民同盟から分かれた中野正剛が結成したファッショ的政治団体。アジア・モンロー主義的な対外政策と統制経済論を基に全体主義的単一政党をめざしたが,新体制運動に協力して1940年改組。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうほうかい【東方会】

中野正剛盟主とする国家主義政党。東方会の活動は1933年に当時国民同盟代議士であった中野が友人・同志を集めて国策研究団体を組織し,その成果を《国家改造計画綱領》として公表したことにはじまる。中野とその同志は35年末に国民同盟を脱退するが,それに伴って東方会も政治結社に改組され,二・二六事件後に再出発する。機関誌《東大陸》を刊行。〈アジア・モンロー主義〉的な対外政策と,〈生産力軍事力の拡張〉と〈国民生活の安定〉を両立させうる〈統制経済論〉が東方会の基本路線であった。

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大辞林 第三版の解説

とうほうかい【東方会】

1936年(昭和11)中野正剛らが結成した国家主義的政治団体。新体制運動に協力。43年、中野の自決により解散。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東方会
とうほうかい

中野正剛(せいごう)が主宰した国家社会主義系右翼政党。最初は1933年(昭和8)に思想団体として発足したが、36年政治結社に改組。さらに思想団体振東社、政治結社東方会、思想団体東方同志会と二転三転した。36年の綱領五条は、「全体主義に則(のっと)り、階級的特権を廃し階級闘争を排除すべし」とある。労働者、農民、中小企業者などを組織対象に、ナチスばりの制服で運動した時期もあった。43年10月東方同志会と「勤王まことむすび」の両会に不穏計画ありとして、両団体で100余名逮捕され、中野の自殺で壊滅的打撃を受けた。44年3月23日に東方同志会は解散したが、敗戦後一時東方会として復活したこともある。同人に三田村武夫、木村武雄、進藤一馬(しんどうかずま)などがいた。[大野達三]
『山本彦助著『国家主義団体の理論と政策』(『思想研究資料特輯』第84号所収・1941・司法省刑事局/『現代史資料23 国家主義運動3』所収・1974・みすず書房)』

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