道元の母(読み)どうげんのはは

朝日日本歴史人物事典 「道元の母」の解説

道元の母

没年承元1(1207)
生年:生年不詳
平安後期・鎌倉時代貴族の女性。松殿藤原基房の娘。名は伊子。元暦1(1184)年,木曾(源)義仲が都落ちの際に名残を惜しんだという,六条高倉に住んだ愛人で,その後,父の義理の弟源通親の妻となり,正治2(1200)年に道元を生んだ。しかし,建仁2(1202)年夫の通親を失い,自らも承元1(1207)年冬,道元が8歳のときに死んだ。<参考文献>今枝愛真『道元』

(細川涼一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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