安喜門院(読み)アンキモンイン

デジタル大辞泉 「安喜門院」の意味・読み・例文・類語

あんき‐もんいん〔‐モンヰン〕【安喜門院】

[1207~1286]後堀河天皇皇后。名は藤原有子。藤原公房の娘。

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精選版 日本国語大辞典 「安喜門院」の意味・読み・例文・類語

あんき‐もんいん‥モンヰン【安喜門院】

  1. 堀河天皇の皇后。藤原公房の娘。名は有子貞応二年(一二二三)皇后に立ち、三年後院号を定められる。承元元~弘安九年(一二〇七‐八六

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安喜門院」の解説

安喜門院 あんきもんいん

1207-1286 鎌倉時代,後堀河天皇の皇后。
承元(じょうげん)元年生まれ。三条公房(きんふさ)の娘。母は藤原修子。貞応(じょうおう)元年入内(じゅだい)し,翌年中宮(ちゅうぐう)となる。嘉禄(かろく)2年関白近衛家実(いえざね)の娘長子(ちょうし)(鷹司院(たかつかさいん))が中宮となったので皇后となり,翌年院号宣下(せんげ)。弘安(こうあん)9年2月6日死去。80歳。名は有子。法名は真清浄。

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朝日日本歴史人物事典 「安喜門院」の解説

安喜門院

没年:弘安9.2.6(1286.3.2)
生年:承元2(1208)
鎌倉中期の女院。後堀河天皇の后。名は藤原有子。太政大臣三条公房の娘。貞応1(1222)年,15歳で入内。女御となり,翌年中宮に立てられた。後堀河との仲はよかったが,嘉禄2(1226)年,わずか9歳の関白近衛家実の娘長子が中宮に冊立されるに当たって,内裏より実家の三条坊門邸に退出し,皇后宮に改められた。翌安貞1(1227)年院号宣下。寛元4(1246)年出家した。

(秋山喜代子)

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