道智通
どうちどおり
湯殿山参詣行人の通行路として開かれた、鮎貝村(現西置賜郡白鷹町)と大井沢村(現西川町)を結ぶ山道。応永三四年(一四二七)没した道智が開いたと伝え、置賜地方からの最短路として後代まで利用された。コースは鮎貝から黒鴨村(現白鷹町)へ出て日影(現同上)を通り、茎ノ峯峠を越えて朝日川沿いの木川村(現朝日町)に出る。そこから山毛欅峠を越え古寺に下り、さらに地蔵峠を越えて根子(現西川町)に出て大井沢に達する。峠は標高七〇〇―八〇〇メートルで、三つの谷を越える起伏のある約四五キロの山道で、木川越あるいは黒鴨越ともよばれる。道智は播磨国書写山(現兵庫県姫路市)の出身で、初め萩生村(現西置賜郡飯豊町)の恩徳寺に住したが、その後大井沢大日寺の住僧となり、道智上人と尊称された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 