日本歴史地名大系 「道頓堀久左衛門町」の解説 道頓堀久左衛門町どうとんぼりきゆうざえもんちよう 大阪府:大阪市南区道頓堀久左衛門町[現在地名]南区心斎橋筋(しんさいばしすじ)二丁目・久左衛門(きゆうざえもん)町単に久左衛門町ともいう。道頓堀川北岸の片側町で、道頓堀宗右衛門(どうとんぼりそうえもん)町の西にあり、西は西横堀(にしよこぼり)川。道頓堀川対岸の道頓堀九郎右衛門(どうとんぼりくろうえもん)町と道頓堀湊(どうとんぼりみなと)町(現浪速区)との間に戎(えびす)橋(古くは操(あやつり)橋)・大黒(だいこく)橋(古くは難波橋)、西横堀川対岸の新難波東之(しんなんばひがしの)町(現西区)との間に町の西端から金屋(かなや)橋が架けられていた(文久三年改正増補国宝大阪全図)。金屋橋は西横堀川最南端の橋。町名は明暦元年(一六五五)に道頓堀久左衛門町となり(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)、これ以前は播磨屋久左衛門町といった(明暦元年大坂三郷町絵図)。大坂三郷南組に属し、明暦元年には屋敷数二九・役数三二役で、うち年寄分一役が無役。四軒が空屋敷年貢を負担。町年寄は播磨屋久左衛門。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by