道頓堀九郎右衛門町(読み)どうとんぼりくろうえもんちよう

日本歴史地名大系 「道頓堀九郎右衛門町」の解説

道頓堀九郎右衛門町
どうとんぼりくろうえもんちよう

[現在地名]南区道頓堀どうとんぼり一―二丁目

単に九郎右衛門町ともいう。道頓堀川南岸の片側町で、道頓堀吉左衛門どうとんぼりきちざえもん町の西にある。東端えびす橋南詰、西端は道頓堀湊どうとんぼりみなと(現浪速区)との境のしん(難波入堀川)に架かる浪芳なみよし橋まで、そして難波入堀なんばいりぼり川沿いの南方土橋(のちの小沢橋)までの新川しんかわとよばれる浜地部分。町名は慶安元年(一六四八)には道頓堀川塩屋どうとんぼりがわしおや町といい(同年「道頓堀川塩屋町五人組帳」今西家旧蔵)、明暦元年(一六五五)道頓堀九郎右衛門町となった(安政三年「水帳」「水帳絵図」大阪市立中央図書館蔵)。水帳にみえる年寄塩屋九郎右衛門は京より大坂にきて道頓堀で芝居興行を始めた六人の一人として有名で、町名のもとになったと思われる(明暦元年北南道頓堀水帳「大大阪」所収)

大坂三郷南組に属し、慶安元年の屋敷数三九・借屋人三五人(前掲五人組帳)。明暦元年には屋敷数三六・役数三九役で、うち年寄分一役が無役(前掲水帳)。各屋敷の奥行は二〇間であったが、延宝三年(一六七五)住吉屋吉弥が自分の屋敷の裏地四畝を下難波しもなんば村より買添えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む