20世紀日本人名事典 「遠城寺宗徳」の解説 遠城寺 宗徳エンジョウジ ムネノリ 昭和期の医科学者 九州大学学長。 生年明治33(1900)年1月14日 没年昭和53(1978)年8月9日 出生地大分県佐伯市 学歴〔年〕九州帝国大学医学部〔大正13年〕卒 学位〔年〕医学博士〔昭和5年〕 経歴九州帝国大学医学部卒業後、同大小児科に入局。昭和4年助教授となり、14〜17年ドイツ留学を経て、17年教授。この間、平壌医専教授も務めた。その後、九州大学医学部長、ガン研究所長などを歴任し、36年学長に就任。退官後、43年久留米大学学長となった。主に子どもの体質の研究で多くの業績を残し、赤ちゃん教室や乳幼児保育の普及に尽力、“赤ちゃん教室の遠城寺”と呼ばれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠城寺宗徳」の解説 遠城寺宗徳 えんじょうじ-むねのり 1900-1978 昭和時代の小児科学者。明治33年1月14日生まれ。平壌(へいじょう)医専教授をへて,昭和17年九州帝大教授となる。付属病院長,医学部長を歴任,36年九大学長。43年久留米大学長。小児体質学の確立,小児保健の発展につとめた。昭和53年8月9日死去。78歳。大分県出身。九州帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by