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遠山雲如 とおやま うんじょ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

遠山雲如 とおやま-うんじょ

1810-1863 江戸時代後期の漢詩人。
文化7年生まれ。17歳で詩集「寰内(かんない)奇詠」をあむ。のち長野豊山,梁川星巌(やながわ-せいがん)らにまなぶ。一時幕府につかえる。のち京都にうつったが,さらに各地を遊歴した。文久3年5月16日死去。54歳。江戸出身。本姓は小倉。名は有孚,澹。字(あざな)ははじめ子発。号は裕斎。詩集はほかに「雲如山人詩集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

遠山雲如

没年:文久3.5.16(1863.7.1)
生年:文化7(1810)
江戸後期の漢詩人。本姓は小倉氏だが,母方の姓遠山氏を称した。名は初め有孚のち澹,字は初め子発のち雲如,号は裕斎。江戸の町人小倉大輔の子。少年時代より詩を好み,大窪詩仏菊池五山など詩壇の大家のもとに出入りし,神童と評された。のちに長野豊山に儒学を学び,江戸幕府の蔵役人の職についたが,ほどなく辞し,放蕩生活のため破産した。その後は梁川星巌の玉池吟社に参加して重きをなす傍ら,南総,厚木,八王子などに居を転じ,詩を教えて生計を支えた。安政4(1857)年師の星巌のあとを追って上洛し,各地を遊歴したのち京都で没した。詩集に『雲如山人集』『墨水四時雑詠』などがある。<参考文献>前田愛「雲如山人伝」(『幕末・維新期の文学』)

(揖斐高)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

とおやまうんじょ【遠山雲如】

1810‐63(文化7‐文久3)
江戸後期の漢詩人。名は澹,号は裕斎。雲如は字である。江戸の人。年少のころから詩にこころざし,1838年(天保9)ころ,梁川星巌の玉池吟社(ぎよくちぎんしや)に入門して詩名を上げた。40年に上総に移居し,約10年間,上総各地を転々とした。その後江戸にもどったが,すぐ相模の厚木に移り,さらに八王子,京都,淡路などを転々とし,京都で客死した。転居をくり返したのは,地方の文人に詩を教授して生計を立てるためで,幕末の職業詩人の一つのタイプである。

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大辞林 第三版の解説

とおやまうんじょ【遠山雲如】

1810~1863) 江戸後期の漢詩人。江戸の人。名は澹、号は裕斎、雲如は字あざな。大窪詩仏・菊池五山と交友、のちに梁川星巌の玉池吟社に加わる。晩年は京都に住んで各地を遊歴。著「雲如山人集」「墨水四時雑詠」

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