遠山雲如(読み)とおやまうんじょ

改訂新版 世界大百科事典 「遠山雲如」の意味・わかりやすい解説

遠山雲如 (とおやまうんじょ)
生没年:1810-63(文化7-文久3)

江戸後期の漢詩人。名は澹,号は裕斎。雲如は字である。江戸の人。年少のころから詩にこころざし,1838年(天保9)ころ,梁川星巌玉池吟社(ぎよくちぎんしや)に入門して詩名を上げた。40年に上総に移居し,約10年間,上総各地を転々とした。その後江戸にもどったが,すぐ相模厚木移り,さらに八王子,京都,淡路などを転々とし,京都で客死した。転居をくり返したのは,地方の文人に詩を教授して生計を立てるためで,幕末の職業詩人の一つのタイプである。田園生活の風物を詠じた詩にすぐれ,詩集に《雲如山人集》《雲如先生遺稿》などがある。
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朝日日本歴史人物事典 「遠山雲如」の解説

遠山雲如

没年:文久3.5.16(1863.7.1)
生年:文化7(1810)
江戸後期の漢詩人。本姓小倉氏だが,母方の姓遠山氏を称した。名は初め有孚のち澹,字は初め子発のち雲如,号は裕斎。江戸の町人小倉大輔の子。少年時代より詩を好み,大窪詩仏や菊池五山など詩壇の大家のもとに出入りし,神童と評された。のちに長野豊山儒学を学び,江戸幕府の蔵役人の職についたが,ほどなく辞し,放蕩生活のため破産した。その後は梁川星巌の玉池吟社に参加して重きをなす傍ら,南総,厚木,八王子などに居を転じ,詩を教えて生計を支えた。安政4(1857)年師の星巌のあとを追って上洛し,各地を遊歴したのち京都で没した。詩集に『雲如山人集』『墨水四時雑詠』などがある。<参考文献>前田愛「雲如山人伝」(『幕末・維新期の文学』)

(揖斐高)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠山雲如」の解説

遠山雲如 とおやま-うんじょ

1810-1863 江戸時代後期の漢詩人。
文化7年生まれ。17歳で詩集「寰内(かんない)奇詠」をあむ。のち長野豊山,梁川星巌(やながわ-せいがん)らにまなぶ。一時幕府につかえる。のち京都にうつったが,さらに各地を遊歴した。文久3年5月16日死去。54歳。江戸出身。本姓は小倉。名は有孚,澹。字(あざな)ははじめ子発。号は裕斎。詩集はほかに「雲如山人詩集」など。

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