遥勘郷(読み)ようかんごう

日本歴史地名大系 「遥勘郷」の解説

遥勘郷
ようかんごう

現大社町の東端に位置する杵築大社(出雲大社)領一二郷の一つ。戦国末期には遥勘村ともいう。遥堪とも記す。建久二年(一一九一)七月日の出雲国在庁官人等解(千家家文書)によると、杵築大社造営に際し治暦三年(一〇六七)に「内遥堪」、永久二年(一一一四)に「外遥堪」がそれぞれ出雲国衙から寄進された。古代には出雲郡出雲郷のうちに属したこの地域が、開発などを通じて新しく遥堪郷とよばれるようになったと考えられる。内遥堪・外遥堪の区分は明確でないが、康元元年(一二五六)一二月日の杵築大社領注進状(北島家文書)にいう「遥勘郷」と同郷沢田さわだをさし、両者を合せて遥勘郷とよんだのかもしれない。このように遥勘郷は、出雲国における中世的所領の成立が一一世紀中頃までさかのぼることを明示する重要な事例である。郷名としてみえるのは建久五年三月二一日の国造出雲孝房譲状(千家家文書)が最初で、嫡男孝綱に譲渡されている。

前掲康元元年注進状によると、遥勘郷は四八町八段半、同郷沢田は一〇町八段半、このうち遥勘郷は除田を除く定田四一町三段三〇〇歩のうち四〇町二段までが八斗代、同郷沢田は定田九町八段半のうち九町八段が三斗代で、遥勘郷が早くに開発された安定耕地なのに対し、同郷沢田はのちに新しく開発されたことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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