日本歴史地名大系 「那珂東郡」の解説 那珂東郡なかとうぐん 茨城県:那珂郡那珂東郡中世の俗称郡名。律令制下の那賀郡は那珂川の流域一帯を含む地域であったが、一〇世紀頃に、式内社吉田神社(現水戸市)を中心とする地域を吉田郡として分出、残った地域は一二世紀後半頃までに二郡に分割された。那珂東郡の郡域は現在の勝田市枝川(えだかわ)より上流の那珂川東岸の地域と思われる。弘安大田文には「那珂東百四十五丁七段三百歩」とみえ、郡内の八郷名が記される。平安末期この地は佐竹氏の勢力下にあったと考えられるが、那珂川と藤井(ふじい)川の合流点、現水戸市上国井(かみくにい)・下国井の辺りは、頼信流源氏国井氏の支配する国井(くにい)保が成立していた。那珂東西両郡は治承四年(一一八〇)佐竹氏の没落後は大中臣姓那珂氏の支配するところとなる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by