朝日日本歴史人物事典 「大仏維貞」の解説
大仏維貞
生年:弘安8(1285)
鎌倉末期の幕府連署。大仏宗宣と北条時茂の娘の子。初名貞宗。陸奥守,修理大夫を歴任。嘉元2(1304)年引付衆に加えられ,同3年小侍奉行,徳治1(1306)年評定衆・引付頭人となる。正和4(1315)年六波羅探題南方となり正中1(1324)年まで在京。この間探題府を主導し悪党鎮圧などに手腕を発揮した。正中1年の後醍醐天皇による正中の変は,維貞の探題離任後に勃発した。鎌倉下向後は評定衆に復し,嘉暦1(1326)年連署に就任。翌年病死した。和歌に秀で,勅撰集に11首が入集。鎌倉末期の北条一門のなかでは実務的能力を持った存在であった。
(森幸夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報