那留浦(読み)なるのうら

日本歴史地名大系 「那留浦」の解説

那留浦
なるのうら

古代にみえる五島の浦。松浦まつら郡のうち。地名はナ(奴などと同じく浦)・ル(船の泊まる湊)の語義であるという。貞観九年(八六七)六月一一日の安祥寺伽藍縁起資財帳案(東寺所蔵文書)に「遠値嘉島那留浦」とみえ、承和九年(八四二)五月五日観世音かんぜおん(現福岡県太宰府市)から大宰府に移った慧運は筑前博多津から船に乗って当浦に寄港している。浦では唐の商人の李処人によって島内の楠を伐採して新しい船の建造が行われ、三ヵ月で完成したこの船で八月二四日に出帆、六昼夜で唐の温州楽城県玉留鎮守府に着いている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む