那須皓(読み)ナス シロシ

20世紀日本人名事典 「那須皓」の解説

那須 皓
ナス シロシ

大正・昭和期の農業経済学者,農政学者 東京大学名誉教授;アジア救ライ協会初代理事長。



生年
明治21(1888)年6月11日

没年
昭和59(1984)年3月29日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大農科大学〔明治44年〕卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和40年〕,マグサイサイ賞〔昭和42年〕

経歴
大正6年東京帝大農科大学(東大農学部)助教授、11年東京帝大教授となり、昭和21年まで務めた。吉田元首相に学識と国際感覚を買われて32年から4年間、駐インド大使。これが縁で、37年に設立されたアジア救ライ協会の初代理事長に就任、インドをはじめアジアの救ライ運動に尽くした。このほか38年に国連食糧農業機関(FAO)の総会議長をつとめ、43年には南米開発会社の設立に協力するなど、国際経済交流にも貢献した。著書に「農業問題と社会思想」「公正なる小作料」「農政論考」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「那須皓」の解説

那須皓

没年:昭和59.3.29(1984)
生年:明治21.6.11(1888)
大正昭和期に活躍した農業経済学者。東京生まれ。大正6(1917)年8月東京帝国大学農科大学(東京大学農学部)助教授,11年6月東京帝国大学教授,農政学経済学第3講座担任,昭和21(1946)年6月まで在任。大正期から昭和戦前期にかけての激動する農業・農村問題本質解明に当たるとともに太平洋問題調査会参画,太平洋をめぐる諸国の相互理解と平和に努力した。日本農業経済学会の発起者。昭和32年11月から36年8月まで駐インド特命全権大使。<著作>『農村問題と社会理想』『公正なる小作料』<参考文献>那須皓先生追想集編集委員会編『那須皓先生』

(今村奈良臣)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「那須皓」の解説

那須皓 なす-しろし

1888-1984 大正-昭和時代の農業経済学者。
明治21年6月11日生まれ。大正12年母校東京帝大の教授。日本農業経済学会の創設にかかわる。太平洋問題調査会にくわわり,太平洋をめぐる各国の相互理解につくす。戦後駐インド大使,駐ネパール大使,アジア救ライ協会理事長などをつとめた。昭和59年3月29日死去。95歳。東京出身。著作に「農村問題と社会理想」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「那須皓」の解説

那須 皓 (なす しろし)

生年月日:1888年6月11日
大正時代;昭和時代の農業経済学者。アジア救ライ協会理事長
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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