…1902年甲武鉄道(JR中央線),29年に富士急行が通じ,中央自動車道の甲府方面と河口湖方面への分岐点ともなって現在も交通の要衝をなしている。近世初めから周辺農村を含めて郡内地方の甲斐絹織物の産地として家内工業が盛んで,明治から第2次世界大戦前までは服裏地,夜具地,洋傘地の産地として発展した。戦後は人絹・合繊織物の産地となったが零細規模の業者が多く,近年は機業の不振から衰退し,東京への通勤者が年々増加する傾向にある。…
…海気,改機,海黄とも書く。南蛮船によって渡来した裂(きれ)をもとに寛文年間(1661‐73),甲斐国(山梨県)の郡内地方で創製したのが始まり。郡内海気とか甲州海気の名もある。…
…甲斐国【狐塚 裕子】
[山峡の国]
日本を南北に分かつ地溝帯(フォッサマグナ)の地域にあり,高山や火山に囲まれた山峡(やまかい)の国である。南には日本一の高峰富士山(3776m),北には開析された火山八ヶ岳(2899m)が広いすそ野を広げ,西には日本第2の高峰北岳(3192m)をもつ赤石山脈(南アルプス)が連なり,東部の桂川流域の郡内地方も御坂(みさか),丹沢の山なみにその面積の大半を占められている。県中央に位置する甲府盆地には,北東から笛吹(ふえふき)川,北西から釜無(かまなし)川が流入し,南西部で合流して富士川となり,駿河湾に注いでいる。…
…甲斐国(山梨県)の城下町。郡内織の産地。地名の初見は1532年(天文1)。同年小山田信有が谷村に新館を建てて以来,戦国期郡内(都留郡)支配の拠点となった。93年(文禄2)入部した浅野氏重は翌年桂川左岸に勝山城を築城,また郡内領の検地を実施,このとき谷村は上谷(かみや)・下谷(しもや)両村に分けられたが,その後も一般には両村を合わせて谷村とよんだ。1633年(寛永10)秋元泰朝が郡内藩1万8000石を受封,城下は従来の上中下の3町が10町に発展,69年(寛文9)検地で上谷村629石余,下谷村817石余。…
※「郡内地方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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