日本大百科全書(ニッポニカ) 「郭再祐」の意味・わかりやすい解説
郭再祐
かくさいゆう
(1552―1617)
朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)、壬辰倭乱(じんしんわらん)(豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略)の際の抗日義兵将。号は忘憂。両班(ヤンバン)の三男として慶尚道で生まれ、比較的恵まれた生活を送っていたが、秀吉の侵略を受けると、郷土防衛のため、私財を投じて募兵し、決起した。最初の義兵であり、彼の挙兵は朝鮮の各地に大きな影響を与えた。彼は天降紅衣将軍と称し、地方の両班、農民らを率い、ゲリラ戦を展開して日本軍を破り、郷土を守った。その功により1592年正三品(しょうさんぴん)を授けられた。1595年の一時的講和後はいっさいの官職を辞退して故郷へ帰り、政争のため一時は無実の罪で捕らえられたが、日本の再侵略後は慶尚道防禦使(ぼうぎょし)に任ぜられ、日本軍と戦った。1599年慶尚左道兵馬節度使に任ぜられ、戦後の復興と国防の強化にあたったが、民衆生活の安定を重視する彼の提案は受け入れられず、ついに官職を辞退して地方に隠棲(いんせい)し、66歳で波瀾(はらん)に満ちた生涯を閉じた。
[矢澤康祐]