日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄒守益」の意味・わかりやすい解説
鄒守益
すうしゅえき
(1491―1562)
中国、明(みん)代の陽明学者。字(あざな)は謙之(けんし)、諡(おくりな)は文荘、東廓(とうかく)先生とよばれた。安福(江西省)の人。王陽明(ようめい)(守仁(しゅじん))の高弟で、寧王宸濠(ねいおうしんごう)(?―1521)の反乱に際し、王陽明とともに乱を鎮圧した。大礼の議では世宗(せいそう)(嘉靖帝)に反対し、広徳州に流謫(るたく)された。官は南京(ナンキン)国子祭酒に至る。彼は慎独(しんどく)、戒懼(かいく)といった内的な心の修養を重んじ、純粋無雑な心に返ることを致良知の実現とみた。この立場は、陽明学派のなかでは、日々の着実な修養を重視する比較的穏健な修証派に属す。
[杉山寛行 2016年2月17日]