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嘉靖帝 かせいていJia-jing-di; Chia-ching-ti

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

嘉靖帝
かせいてい
Jia-jing-di; Chia-ching-ti

[生]正徳2(1507)
[没]嘉靖45(1566)
中国,明の第 12代皇帝 (在位 1521~66) 。姓名は朱厚そう,諡は粛皇帝,廟号は世宗。父は弘治帝の弟興献王。正徳 16 (21) 年正徳帝の没後迎えられて即位し,翌年嘉靖と改元 (22) 。初め国政に熱意を示し,前代の弊政を改めたが,興献王の処遇をめぐって大礼問題 (→大礼の議 ) が起って政争に発展し,帝の意図する方向で落着したものの国政は乱れた。次いで帝は,仏教を排斥して道教におぼれ,方士を信用して仙薬道術に心酔し,政務を放棄して厳嵩父子の専横を招いた。さらに北虜南倭の被害は帝の治世に最もはなはだしく,嘉靖 29 (50) 年にはアルタン (俺答) が北京を囲み,また東南沿岸地は王直,徐海らに率いられた倭寇に侵された。こうした政治的退廃と外患にもかかわらず,学術,文芸の方面では名家が輩出して明代の最盛期を現出した。

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世界大百科事典 第2版の解説

かせいてい【嘉靖帝 Jiā jìng dì】

1507‐66
明朝第12代の皇帝,在位1521‐66年。姓は朱,名は厚,廟号は世宗,年号によって嘉靖帝とよばれる。孝宗の弟である興献王の長子で,父のあとをついで湖北の安陸州の藩王であったが,武宗が子をもうけずに没したため,跡継ぎに迎えられた。はじめは政治に熱意をもち,前代の弊政を一新しようとしたが,大礼の議がおこるとともに重臣たちと対立し,国政への意欲を失った。大礼とは,帝がだれの跡をつぐかの問題と関連して,父の興献王をどのように遇するかという,礼制上の問題をめぐる論議である。

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大辞林 第三版の解説

かせいてい【嘉靖帝】

1507~1566) 中国、明朝第一二代皇帝(在位1521~1566)。廟号は世宗。先代皇帝の従弟。初め治政につとめたが、重臣たちと対立して政務を放棄。宦官かんがんの専横を許し、北虜南倭ほくりよなんわの被害も重なって国勢は急速に衰えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

嘉靖帝
かせいてい
(1507―1566)

中国、明(みん)朝第11代皇帝(在位1521~66)。姓名は朱厚(しゅこうそう)。廟号(びょうごう)は世宗、諡(おくりな)は粛(しゅく)皇帝。年号にちなみ嘉靖帝とよばれる。第9代弘治(こうち)帝の弟興献王の長子であったが、いとこにあたる第10代正徳帝に嗣子(しし)がなかったため、15歳のとき急遽(きゅうきょ)皇帝位についた。即位直後、伯父にあたる弘治帝を皇考(皇帝の父)と称すべきか、実父の興献王を皇考と称すべきかで朝廷に「大礼の儀」といわれる大議論がおこり、嘉靖帝は後者の見解を持して譲らず、最終的には帝が反対派の宰相楊廷和(ようていわ)らを辞職させて決着をつけた。即位のごく初期には正徳帝治下で横暴を極めた宦官(かんがん)を処刑、追放するなど前代の弊政の改革を志した帝も、2年半の「大礼の儀」のなかで国政の要点を見失い、しだいに道教に熱中して土木工事や祈祷(きとう)に国費を乱費し、1542年からは自己にへつらう権臣厳嵩(げんすう)を宰相に登用してその専横をほしいままにさせた。他方、帝の治世は「北虜南倭(ほくりょなんわ)」と称されるように、北方ではモンゴルの韃靼(だったん)部アルタン・ハンが一時首都北京(ペキン)を包囲するほどの勢いで侵攻を激化させ、南方では江蘇(こうそ)・浙江(せっこう)の沿岸地域を中心に、1520年ごろから、中国人を主体とし一部日本人を交えた武装集団倭寇(わこう)の密貿易と略奪が繰り返されるなど、外患も顕著となった。「北虜南倭」の動きはいずれも貿易の拡大を求めたものであり、これを招いたのが正徳帝以来の商品生産、貨幣経済の発達であった。また、この経済変動の一環として大土地所有が伸張し、とくに官僚の大地主化が進んで、彼らによる租税、徭役(ようえき)の納入忌避がしだいに国家財政を悪化させた。他方、経済の発展を実際に担った都市や農村の民衆も、従来の社会秩序に従わなくなっていった。嘉靖帝が史家によって「しょせん並の君主」と評される背景には、明前半期の方法では対応しきれない社会そのものの変化があったのである。[森 正夫]

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世界大百科事典内の嘉靖帝の言及

【大礼の議】より

…中国,明代嘉靖(1522‐66)初期の朝廷の紛議。弘治帝の子正徳帝は,子も兄弟もなくして没したため,弘治帝の弟興献王の子が迎えられて嘉靖帝となった。嘉靖帝は正徳帝の従弟に当たる。…

※「嘉靖帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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