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酒井忠績 さかい ただしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井忠績 さかい-ただしげ

1827-1895 幕末の大名。
文政10年生まれ。酒井忠誨(ただのり)の長男。酒井忠顕(ただてる)の要請で,万延元年播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主酒井家8代となる。元治(げんじ)元年藩内の勤王派約70名を処罰(甲子(かっし)の獄)。2年老中から大老にすすみ,将軍徳川家茂(いえもち)を補佐した。明治28年11月30日死去。69歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

酒井忠績

没年:明治28.11.30(1895)
生年:文政10(1827)
幕末の姫路藩(兵庫県)藩主,大老。号は閑亭,閑斎。父は忠誨,万延1(1860)年襲封した。文久1(1861)年溜詰となり,雅楽頭と称した。2年京都所司代酒井忠義(小浜藩主)の罷免後,後任の大坂城代本荘宗秀が廷臣に疎まれ就任できず長岡藩主牧野忠恭が改めて着任するまでの間,同職代勤として市中取り締まりを担当し,朝廷の評価を得た。3年老中上座(翌年免職),慶応1(1865)年大老に就任し第2次長州征討,兵庫開港問題に当たった。この間,河合屏山ら藩内勤王派を断罪(甲子の獄)する一方,志願兵による西洋式歩兵銃隊と楽隊を組織するなど改革に努めた。慶応3(1867)年隠居した。<参考文献>『兵庫県史』5巻

(長井純市)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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