朝日日本歴史人物事典 「酒井忠績」の解説
酒井忠績
生年:文政10(1827)
幕末の姫路藩(兵庫県)藩主,大老。号は閑亭,閑斎。父は忠誨,万延1(1860)年襲封した。文久1(1861)年溜詰となり,雅楽頭と称した。2年京都所司代酒井忠義(小浜藩主)の罷免後,後任の大坂城代本荘宗秀が廷臣に疎まれ就任できず長岡藩主牧野忠恭が改めて着任するまでの間,同職代勤として市中取り締まりを担当し,朝廷の評価を得た。3年老中上座(翌年免職),慶応1(1865)年大老に就任し第2次長州征討,兵庫開港問題に当たった。この間,河合屏山ら藩内勤王派を断罪(甲子の獄)する一方,志願兵による西洋式歩兵銃隊と楽隊を組織するなど改革に努めた。慶応3(1867)年隠居した。<参考文献>『兵庫県史』5巻
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報