大老(読み)たいろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大老
たいろう

豊臣政権および江戸幕府職名豊臣政権五大老五奉行の上におかれ,前田利家毛利輝元徳川家康上杉景勝宇喜多秀家が任じられた。江戸幕府では,老中の上におかれる臨時の職で,政務を総理する幕府最高の職であった。徳川氏三河の大名であった頃の家老が起源とみられ,譜代大名でも三河以来の有力な家臣である井伊氏や酒井氏などが任じられることが多かった。そのほかには土井,保科,堀田,柳沢氏などが1回ずつであることから,家格と大老職との密接な関係がわかる。権限は非常に強く,老中から将軍に上申する事務を聞いて将軍にみずからも建言し,その意見は幕府内で非常に重んじられた。

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百科事典マイペディアの解説

大老【たいろう】

江戸幕府の職名。幕府最高の職。常置ではなく,必要に際して老中の上に置かれた。1638年土井利勝酒井忠勝が当時は大年寄などともよんだ元老職についたのがその起源とされ,大老の職名を正式に冠したのは1666年の酒井忠清が最初。10万石以上の譜代大名である酒井・堀田・井伊家などの独占であった。
→関連項目井伊氏井伊直弼江戸幕府御用部屋酒井忠清政治総裁職土井利勝本多正信柳沢吉保

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世界大百科事典 第2版の解説

たいろう【大老】

江戸幕府の職名。幕府最高の職。定員は1名。常置の職ではない。老中の上に位置するが,日常的幕政に関与することは免除され,ごく重要な政策決定のみに関与した。官位は四位少将ないし三位中将で老中よりも高く,老中と同道のときは1,2歩先を歩き,江戸城内では総下座の礼を受けた。 3代将軍家光のとき,1638年(寛永15),酒井忠勝土井利勝が任じられたのが最初とされるが,家康の将軍就任以前では,石川数正酒井忠次井伊直政など軍事的に有能な大身の武将が徳川家の宿老として内外から重視されていた。

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大辞林 第三版の解説

たいろう【大老】

尊敬されている老人。
豊臣秀吉が設置した職名。 → 五大老
江戸幕府の職名。必要に応じて老中の上に置かれた最高職。定員は一名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大老
たいろう

江戸幕府の役職中、最高位の職名。常置の職ではない。創置は不詳。酒井忠世(ただよ)(雅楽頭(うたのかみ))に始まると伝えるが確証はなく、むしろ1638年(寛永15)の老中土井利勝(としかつ)(大炊頭(おおいのかみ))・同酒井忠勝(雅楽頭分家讃岐守(さぬきのかみ))両人の格上げをもって大老職の設置としたほうがよかろう。こののち、酒井忠清(ただきよ)(雅楽頭、1666~80)、井伊直澄(なおすみ)(掃部頭(かもんのかみ)、1668~76)、堀田正俊(まさとし)(筑前(ちくぜん)守、1681~84)、井伊直興(なおおき)(直該(なおもり)、掃部頭、1697~1700、1711~14)、同直幸(なおひで)(掃部頭、1784~87)、同直亮(なおあき)(同、1835~41)、同直弼(なおすけ)(同、1858~60)、酒井忠績(ただしげ)(雅楽頭、1865.2~65.11)の順序で補任(ぶにん)された。ちなみに、大老格の柳沢吉保(やなぎさわよしやす)(松平、美濃(みの)守、1706~09)は役職上は終始側用人(そばようにん)であったと思われる。定員は通常1人、官位は井伊氏のみ家格によって正四位(しょうしい)中将、他氏は従(じゅ)四位少将となり、日々登城し、老中の上班にあって大政を総理したが、月番御用、評定所(ひょうじょうしょ)出座、奉書加判は免じられ、ときに御内書のことをつかさどった。老中・若年寄ともども殿中御用部屋に詰め、そのうち上之間の入側上座に屏風(びょうぶ)様太鼓張(たいこばり)の障子をもって一画したところで執務した。
 ところで、4代将軍家綱(いえつな)の時期、酒井忠清と井伊直澄の両人が並行して大老に補任され、加えて阿部忠秋(ただあき)(豊後(ぶんご)守、1666~71致仕、1675没)が大老並(なみ)の処遇を受けた。しかし、これは三者三様であったと推測される。忠清は門閥譜代(ふだい)の代表として名実ともに幕閣の首班、直澄は譜代の棟梁(とうりょう)として徳川家の元老の地位にあり、忠秋は幕閣の長老として優待されたものと解せようか。とりわけ井伊氏は、江戸時代を通じて歴代会津・高松両松平氏とともに、将軍家の政治顧問の役目を負う溜間(たまりのま)に座班をもち、またなかば世襲のように大老に補任されて大政に臨んだが、ただ1人幕末期の直弼を例外として、酒井忠清、堀田正俊のように幕閣首班=執政として政治上絶大な権力を振るった者はなかったかにみえ、このことから、同じ大老といっても井伊氏と他氏とでは本来格式も性質も異なるものと考えられよう。なお、臨時に設置され大政に関与した役職に後見、輔佐(ほさ)、政事総裁、政事輔翼(ほよく)などがあったが、このうちの政事総裁は大老に近い性質のものであったと思われる。また3代将軍家光(いえみつ)の時期に井伊直孝、松平(奥平)忠明(ただあきら)、保科正之(ほしなまさゆき)(のち家綱の後見となる)、家綱の時期に直孝(継続)、榊原(さかきばら)(松平)忠次などが元老として大老・老中の上班にあって大政に参画した。これはおそらく溜間詰の原型をなすものであろう。豊臣(とよとみ)氏にも五大老があった。[北原章男]

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世界大百科事典内の大老の言及

【大名】より

…ここは毎日だれかが詰めていて,場合によっては幕政につき諮問を受けることがあった。幕末に至り溜詰格も出現したが,これも含め幕末には11家あり,大老はこの部屋の大名がなることが多い。(3)大広間は親藩大名と10万石以上の外様大名(国主である外様はすべてここに入る)からなり,幕末で37家存在した。…

※「大老」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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