酒井甚四郎(読み)さかい・じんしろう

朝日日本歴史人物事典 「酒井甚四郎」の解説

酒井甚四郎

没年:大正7.10.7(1918)
生年天保13.3(1842)
明治期の茶業技術振興の功労者。伊勢国(三重県)鈴鹿郡深溝村に生まれ,茶園経営のかたわら宇治,近江の技術を学び,茶樹育成や製茶法の技術改良専念緑茶輸出が急速に伸びるなかで,乱造品が問題となりはじめたこの時期にその技術が認められて,明治13(1800)年静岡県に招かれ,県勧業課御用掛として県下茶業の巡回指導に当たる。19年茶業組合取締所改良委員となり,静岡県の茶の品質改良に大きく貢献。21年『茶業須要』を著した。翌年紫雲英播種及採取法』を書き,23年栃木県林務係に転じてレンゲ(緑肥)栽培の指導に当たり好成績をあげる。さらに24年埼玉県北足立郡浦和町に居を移し,埼玉県雇となり県下の茶業伝習所の巡回教師となった。<参考文献>大石貞男「『茶業須要』解題」(『明治農書全集』5巻)

(葉山禎作)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井甚四郎」の解説

酒井甚四郎 さかい-じんしろう

1842-1918 明治時代の茶業指導者。
天保(てんぽう)13年3月生まれ。茶園を経営するかたわら,製茶法などの改良にとりくむ。明治13年静岡県勧業課御用掛,23年栃木県林務係,24年埼玉県の茶業伝習所巡回教師となり,各県の茶業技術の振興につとめた。大正7年10月7日死去。77歳。伊勢(いせ)(三重県)出身著作に「茶業須要」「紫雲英(れんげ)播種及採取法」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android