朝日日本歴史人物事典 「酒井甚四郎」の解説
酒井甚四郎
生年:天保13.3(1842)
明治期の茶業技術振興の功労者。伊勢国(三重県)鈴鹿郡深溝村に生まれ,茶園経営のかたわら宇治,近江の技術を学び,茶樹育成や製茶法の技術改良に専念。緑茶の輸出が急速に伸びるなかで,乱造品が問題となりはじめたこの時期にその技術が認められて,明治13(1800)年静岡県に招かれ,県勧業課御用掛として県下茶業の巡回指導に当たる。19年茶業組合取締所改良委員となり,静岡県の茶の品質改良に大きく貢献。21年『茶業須要』を著した。翌年『紫雲英播種及採取法』を書き,23年栃木県林務係に転じてレンゲ(緑肥)栽培の指導に当たり好成績をあげる。さらに24年埼玉県北足立郡浦和町に居を移し,埼玉県雇となり県下の茶業伝習所の巡回教師となった。<参考文献>大石貞男「『茶業須要』解題」(『明治農書全集』5巻)
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報