新撰 芸能人物事典 明治~平成 「里国隆」の解説
里 国隆
サト クニタカ
- 職業
- 島唄歌手 竪琴奏者
- 生年月日
- 大正7年
- 出生地
- 鹿児島県 大島郡笠利町(奄美大島)
- 経歴
- 生後間もなく病気のため失明。名人と呼ばれた祖父に島唄と三味線を仕込まれ、本土から来た旅芸人に竪琴を学ぶ。17歳で旅芸人として自立し、竪琴と島唄で防虫剤の樟脳を売る行商の仕事に就く。島を渡り歩き、“乞食の国隆”とも、“南海の高橋竹山”とも呼ばれる。島唄の唄者(うたしゃ)として徐々に力を発揮。戦後すぐから昭和37年まで沖縄で過ごし、即興をきかせた島唄から流行歌までこなして米兵や女性たち、労働者らの間で人気となった。またその間知り合った琉球漫談の照屋林助との縁で、50年東京で開かれた琉球フェスティバルに出演。レコードもつくり、有名になったのちも旅芸人に徹し、路上に立ち続けた。晩年病気を患い入院生活を送りながらもライブハウスなどに出演。60年病気により死去。
- 没年月日
- 昭和60年 (1985年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報