重寺村(読み)しげでらむら

日本歴史地名大系 「重寺村」の解説

重寺村
しげでらむら

[現在地名]沼津市内浦重寺うちうらしげでら

伊豆半島の基部に位置する。西は駿河湾の東奥部である内浦湾に面し、西方沖合あわ(周囲二五町)が浮ぶ。北は駿河国駿東すんとう口野くちの村で、南は小海こうみ村、東は戸沢とざわ(現伊豆長岡町)。「海へ出申候外ニ稼ハ無御座候」(宝永七年「村指出帳」豆州内浦漁民史料)、「漁間ニ耕作等仕」(享保一一年「村差出帳」同史料)と記されるような漁業主体の村方で、他地域との往来は多くは舟を利用した。天正元年(一五七三)九月一七日、北条家臣の安藤良整は重須おもすの退転した網所の再興について同所の土屋氏などに「三津・長浜(小)海・重寺之面々」とも相談して対処するよう命じている(「安藤良整書状」長浜大川文書)。同一八年四月、豊臣秀吉西浦にしうら庄内の「しけてら郷」など七ヵ所宛に掟書(長浜大川文書)を下している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android