日本歴史地名大系 「重枝名」の解説 重枝名しげえだみよう 鹿児島県:国分市重久村重枝名中世の曾於(そお)(曾野)郡などにあった名。重久(しげひさ)名などと同じく税所氏の所領で、「重」は税所氏の仮名の通字である。曾於郡重枝名内には堀切田(嘉禎二年二月日「玄栄田地寄進状」台明寺文書、以下断りのない限り同文書)、菅生浦(同年一一月日僧覚尋田地寄進状)、止上牟田(正嘉元年四月二三日覚明寄進田畠注文)、山下・山王田(正応四年一一月日台明寺寺田注文)などが含まれており、堀切田は上小川(かみこがわ)地内の堀切(ほりきり)、菅生浦・止上牟田(止上村とも)・山王田は重久地内の須川(すがわ)(須川原)・止上(とがみ)・山王田(さんのうでん)、山下は台明寺(だいみようじ)地内の山下(やました)がそれぞれ遺称地と思われ、これらの地を含む一帯に比定される。大隅国建久図田帳には曾野郡の国方公田のうちに「重枝廿丁」とみえ、郡司藤原篤守の知行であった。また当名および税所篤用知行の重富(しげとみ)名(三三丁)のうちから合せて三丁が佃として大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)に寄進されていた。税所氏系図抄(国分郷土誌)によれば、当名は税所氏嫡流に相伝されており、同氏の祖とされる光孝天皇八代孫の敦如の孫篤貞(篤定)は重枝曾於野大夫、その子篤近が重枝曾於野太郎大夫、篤近の子篤房が重枝曾於野次郎大夫を名乗っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by