日本歴史地名大系 「野一色村」の解説 野一色村のいつしきむら 岐阜県:岐阜市旧厚見郡地区野一色村[現在地名]岐阜市野一色一―八丁目・琴塚(ことづか)一―四丁目・長森野一色(ながもりのいつしき)北一色(きたいつしき)村の東に位置し、北部は山地(主峰一九一メートル)で山麓に大きな池があり、南部は平坦地。集落は山裾に近い関方面に向かう郡上(ぐじよう)街道に沿う。慶長郷帳および元和二年(一六一六)の村高領知改帳に村名がみえ、高一四三石余。正保郷帳では田二石余・畑一三六石余・松山年貢二石余・芝野年貢一石余。 野一色村のいしきむら 滋賀県:坂田郡山東町野一色村[現在地名]山東町野一色市場(いちば)村の北、姉(あね)川南岸平地に立地。弘安三年(一二八〇)一二月の円智寄進状(大原観音寺文書、以下同文書は省略)に「夫馬一色郷宗弘名」とみえ、観応六年(一三五〇)九月二四日の西念・左近允連署寄進状には「夫馬一色郷内左近允名」とみえ、それぞれ田地が観音寺に寄進されている。文和三年(一三五四)一二月一三日の教道田地寄進状には「夫馬郷内一色」とみえる。天文三年(一五三四)六月二〇日の永源寄進状によると「の一色き座斗前」の地が観音寺本尊に寄進されている。当地には佐々木大原氏の支流野一色氏が居住。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by