日本歴史地名大系 「野串村」の解説 野串村のぐしむら 広島県:三原市野串村[現在地名]三原市八幡(やはた)町野串宮内(みやうち)村西北に位置し、周辺を標高三四〇―三五〇メートル級の山地で囲まれる。村の中ほどを御調(みつぎ)川の支流八幡川が東南流。周辺の山麓傾斜面にも水田が開かれ、集落の多くは南に開けた傾斜面に立地。御調郡に属した。古代の山陽道が村の南部山麓をほぼ東西に貫通していたと考えられ、平安時代末期には石清水(いわしみず)八幡宮領御調別宮(みつきべつく)(八幡庄)に含まれた。「中右記」元永二年(一一一九)一二月五日条によると、正二位中納言宗忠が家封備後国一〇烟を石清水八幡宮に寄進しているが、その封戸は御調(みつき)八幡宮に納入されたと考えられ、当村には二位側(にいがわ)・中納言(ちゆうなごん)谷の地名や二位屋敷跡などがある。大永六年(一五二六)渋川義陸が写し置いた備後国御調郡八幡宮社領書立写(御調八幡宮文書)にみえるひたか・国守(くにもり)・久守(ひさもり)・長常(ながつね)・光弘(みつひろ)・助実(すけざね)・重吉(しげよし)・平田(ひらた)・乙丸(おとまる)・かね行(ゆき)などの名は当村内にあり、ほかに野串川が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by