日本歴史地名大系 「御調八幡宮」の解説
御調八幡宮
みつきはちまんぐう
備後八幡宮大菩薩縁記(社蔵)によると、和気清麻呂が大隅国に流されたとき、姉法均尼は備後国に流されたが、宝亀八年(七七七)一〇月八日、尼の配所に参議藤原百川が社殿を建立、備後国封戸二〇戸を割いて贈ったのが創祀で、百川の子緒嗣が別殿を建てて清麻呂・法均・百川らの霊を祀ったという。しかし「備後八幡雑記」(「三原市史」所収)の日本六所八幡の項には天応元年(七八一)宇佐(現大分県)より勧請とあり、神護景雲二年(七六八)五月一三日の奥書のある説一切有部純正理論(巻二三)、宝亀一〇年閏五月書写の奥書をもつ大般若波羅蜜多経(巻一三三)があると記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報