日本歴史地名大系 「野仲郷」の解説 野仲郷のなかごう 大分県:下毛郡野仲郷「和名抄」下毛郡七郷の一つの系譜をひく中世郷。「宇佐大鏡」に「野仲郷 田数百八丁同前 佃四丁四段同前 用作九丁六反同前 深水庄野仲郷内也 田数廿五丁七反根元立券勘文定 佃一丁六反同前」とみえる。宇佐宮神領次第案(到津文書)によれば、仁治二年(一二四一)には「同八十四名野仲郷深水庄□付野□」とあり、名八四があったらしい。ただし、この数値は深水(ふこうず)庄分も含んでいる。 野仲郷のなかごう 大分県:豊前国下毛郡野仲郷「和名抄」下毛郡七郷の一。諸本とも訓を欠く。郷域は現中津市東浜(ひがしはま)・全得(ぜんとく)・合馬(おうま)・是則(これのり)・犬丸(いぬまる)・福島(ふくしま)・伊藤田(いどうだ)、下毛郡三光(さんこう)村上秣(かみまくさ)・下秣・上深水(かみふこうず)・下深水一帯と推定される。仁平四年(一一五四)「乃中郷」は宇佐宮行幸会供料の雑器を皆納している(同年二月六日「宇佐宮行幸会御供料雑器未進注文」永弘文書)。当郷は奈良時代に大家(おおえ)郷などとともに八幡宮(宇佐宮)に施入されて封郷となった同宮の三国七郡御封(十郷三箇庄)の一で、一一世紀初頭には郷内に深水庄が成立している(宇佐大鏡)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by