野口郷
ののくちごう
「和名抄」にみえる。高山寺本・刊本とも訓を欠くが、郷内に置かれていたと考えられる山陰道野口駅を「延喜式」(兵部省)九条家本は「ノヽクチ」と訓じているのでこれに従う。
「御堂関白記」長和五年(一〇一六)一〇月一九日条に「常陸守維時貢馬廿疋、女馬廿疋同献、女施野口」とみえ、応保三年(一一六三)三月付野口牧下司藤原定遠解(京都大学所蔵「兵範記」仁安二年春巻裏文書)に野口牧が記される。長寛二年(一一六四)一二月日付野口牧下司住人等解(陽明文庫所蔵「兵範記」仁安二年夏巻裏文書)によれば野口牧は桑田郡小川郷・佐伯郷・摸作郷(現亀岡市)内に広がっていたことがわかる。
野口郷
のぐちごう
「和名抄」高山寺本に野口と記し、訓はない。刊本(慶安元年)は「ノクチ」と仮名を記す。
「延喜式」(兵部省)に「周防国駅馬」として「野口」とあり、石国駅と周防駅の間にあった駅家を兼ねた郷であろう。
現玖珂町野口はこの遺名とみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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