日本歴史地名大系 「野後村」の解説 野後村のじりむら 三重県:度会郡大宮町野後村[現在地名]大宮町滝原(たきはら)浅間(せんげん)山(七三三・五メートル)西部の山麓、北流する大内山(おおうちやま)川下流の右岸にあり、南北を熊野街道が通る。山麓中央に位置する滝原(たきはら)宮の北を里(さと)村、南を岩内(ようち)村と称し二村に分ける。里村の北は船木(ふなき)村・三瀬川(みせがわ)村、岩内村の南は阿曾(あそ)村に接する。倭姫命巡行に先導の真奈胡神が滝原の国と答えた伝承があり、滝原宮と同名の村名は神威を汚すとされ、長者野(ちようじやの)(はぶがのとも)の後(尻)に位置することから野尻(のじり)と改め、元禄四年(一六九一)尻を後に書改めたという(「野後旧記」奥山家蔵)。長者野の大内山川河岸段丘に、縄文時代の長者野北遺跡・南遺跡があり、長者野古墳群(一―四号)は円型群集墳であった。麻(ぬさ)(幣)塚・金(かな)塚の碑が建ち祭祀遺跡の伝承をもち、一帯は倭姫命巡行伝承地。宮北の里地区は阿淵(あぶち)に至るまで中世遺物の散布地域である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by