野村文夫(読み)のむらふみお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野村文夫」の意味・わかりやすい解説

野村文夫
のむらふみお
(1833/1836―1891)

明治前期のジャーナリスト安芸(あき)国(広島県)の出身。名は虎吉(とらきち)、文機、号は雨荘、簾雨(れんう)という。眼科医野村正碩の子として生まれ、広島藩医村田氏の養子となる(のち復姓)。大坂緒方洪庵(おがたこうあん)に師事し、のち長崎に学ぶ。1865年(慶応1)イギリス密航、1868年(明治1)帰国して藩の洋学教授となる。1870年には新政府民部省に出仕。辞官後1877年3月、時局風刺を旨とした『団団(まるまる)珍聞』を創刊した。

[奈倉哲三]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村文夫」の解説

野村文夫 のむら-ふみお

1836-1891 明治時代のジャーナリスト。
天保(てんぽう)7年4月5日生まれ。緒方洪庵(こうあん)に蘭学をまなぶ。イギリスに密航し,帰国後安芸(あき)広島藩の洋学教授となる。維新後,民部省などにつとめる。明治10年風刺雑誌「団団(まるまる)珍聞」,翌年「驥尾団子(きびだんご)」を創刊した。明治24年10月27日死去。56歳。安芸出身。号は雨荘,簾雨。著作に「西洋見聞録」「東西蒙求(もうぎゅう)」など。

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世界大百科事典(旧版)内の野村文夫の言及

【団々珍聞】より

…発行所は団々社,のち珍聞館。内務省を辞職した広島県人野村文夫が,筆禍を恐れて直言直筆できない新聞雑誌に代わり,風刺精神をもって政府の施策を批判するという趣旨で発刊した。内容の中心は社説にあたる茶説や雑報,狂詩歌,狂句,狂画すなわち風刺漫画などで,読者の投稿を重視した。…

※「野村文夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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