団団珍聞(読み)まるまるちんぶん

精選版 日本国語大辞典 「団団珍聞」の意味・読み・例文・類語

まるまるちんぶん【団団珍聞】

  1. 風刺雑誌。週刊。明治一〇年(一八七七)三月創刊終刊は不明。同四〇年七月、第一六五四号までは確認されている。風刺文や狂詩狂歌狂句などによって政治社会風俗機微をうがつ。民権思想を鼓吹し、政策要人非行を暴露したためしばしば筆禍を被った。

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百科事典マイペディア 「団団珍聞」の意味・わかりやすい解説

団団珍聞【まるまるちんぶん】

1877年野村文夫が創刊した週刊風刺雑誌。〈まるちん〉と呼ばれた。風刺と戯画で政府を批判,きわめて高い人気を得た。しばしば筆禍をこうむりながら,自由民権運動を背景に,改進党系の論調を貫いた。執筆・編集には,梅亭金鵞(ばいていきんが),田島任天,また山田美妙福地桜痴らがかかわり,幸徳秋水も〈いろは庵〉の名で執筆。風刺漫画(〈狂画〉)を本多錦吉郎小林清親,田口米作らが担当。終刊年は1907年ごろか。
→関連項目七偏人

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「団団珍聞」の意味・わかりやすい解説

団団珍聞
まるまるちんぶん

明治時代、東京で発行された時局風刺週刊誌。1877年(明治10)3月14日、野村文夫(ふみお)が創刊したもので毎週土曜日発行。自由民権運動の潮流にのって、戯画、戯文藩閥政府を攻撃した。社説にかわる「茶説」を巻頭に、於東京絵(おどけえ)、珍報、雑録、狂歌、狂句、都々逸(どどいつ)、川柳(せんりゅう)などで政治、社会、権力者を批判、読者の人気を集めた。1907年(明治40)7月27日付け第1654号まで発行が確認されている。

[春原昭彦]

『北根豊監修、山口順子解説『團團珍聞』第一期~第四期(1981~85・本邦書籍)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「団団珍聞」の解説

団団珍聞
まるまるちんぶん

明治期の週刊滑稽風刺雑誌。正しくは「於東京絵(おどけえ)団団珍聞」。1877年(明治10)3月創刊。最初の発行所は野村文夫の創設した団々社。日本における最初の本格的な滑稽風刺雑誌で,戯文(ぎぶん)で説明をいれた狂画が特徴。明治10年代は改進党系として自由民権色が強かったが,しだいに政治色のない戯作(げさく)系の社会風刺が中心となっていった。97年には大岡育造を社主とする珍聞館に発行所が移った。1907年廃刊。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「団団珍聞」の意味・わかりやすい解説

団団珍聞
まるまるちんぶん

1877年3月野村文夫が創刊主宰した政治風刺雑誌。イギリスの漫画雑誌『パンチ』に範をとった週刊誌で,政治漫画と戯文で明治藩閥政府を風刺し,自由民権思想の鼓吹に努めたが,しばしば発売禁止や発行停止の弾圧を受けた。一時幸徳秋水が「いろは庵」の筆名で執筆していたことでも著名である。 1907年 1654号で廃刊。

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