日本歴史地名大系 「野竹村」の解説 野竹村のだけむら 長野県:上田市神科地区野竹村[現在地名]上田市大字古里(こさと)神科台地東部の村。集落の東段丘の下を神(かん)川が北より南へ流れ、西方には条里的遺構を残す水田地帯が広がる。集落より西へおよそ二〇〇メートル、その西寄りの六町四方は信濃国府跡と想定される。集落の東を笹井染屋堰(ささいそめやせぎ)と岩門(いわかど)堰が北より南へ流れ台地上の水田地帯をうるおす。東は神川を隔てて漆戸(うるしど)村、西は染屋(そめや)村、南は笹井(ささい)村、北は新屋(あらや)村と境をなす。 野竹村のだけむら 和歌山県:東牟婁郡本宮町野竹村[現在地名]本宮町野竹四村(よむら)川を隔てて武住(ぶじゆう)村の南に位置する。慶長検地高目録によると村高二一石余、小物成一・八〇六石。和歌山藩新宮領で受川組に属し、近世後期の「新宮領分見聞記」には家数一七とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報