金丸城跡(読み)かねまるじようあと

日本歴史地名大系 「金丸城跡」の解説

金丸城跡
かねまるじようあと

[現在地名]鹿西町金丸 沢

眉丈(びじよう)山系の邑知(おうち)地溝帯および邑知潟に臨む中腹部、通称仏性(ぶつしよう)山に所在するため仏性山(ぶつしようざん)砦とも称される。平坦面(郭)などの遺構群の存在は知られるが、分布調査などは行われておらず詳細は不明。

観応二年(一三五一)一月、得江石王丸代の長野季光が守護桃井義綱に具申した軍忠状(得江文書)によれば、同元年一二月一三日、足利尊氏党の守護方が立籠る当城に越中から乱入した足利直義党の桃井直信勢が攻寄せ、攻防戦を展開した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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