金井修(読み)カナイ シュウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「金井修」の解説

金井 修
カナイ シュウ


職業
俳優

本名
金尾 修

生年月日
明治30年

出生地
京都府

学歴
京都中卒

経歴
大正7年室町二郎(後の大河内伝次郎)の第二新国劇旗揚げ(京都新京極大正座)に参加、同劇団員として活躍。昭和に入り剣戟を売り物の金井修一座を結成、篭寅演劇株式会社に所属して浅草昭和座を根城に京都新京極、大阪道頓堀、神戸新開地などの劇場に出演、大殺陣で人気を博した。劇中5役36回早替りなど早替りが十八番であった。

没年月日
昭和38年 12月21日 (1963年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「金井修」の解説

金井 修
カナイ シュウ

大正・昭和期の俳優



生年
明治30(1897)年

没年
昭和38(1963)年12月21日

出生地
京都

本名
金尾 修

学歴〔年〕
京都中卒

経歴
大正7年室町二郎(後の大河内伝次郎)の第二新国劇旗揚げ(京都新京極大正座)に参加、同劇団員として活躍。昭和に入り剣戟を売り物の金井修一座を結成、篭寅演劇株式会社に所属して浅草昭和座を根城に京都新京極、大阪道頓堀、神戸新開地などの劇場に出演、大殺陣で人気を博した。劇中5役36回早替りなど早替りが十八番であった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金井修」の解説

金井修 かない-しゅう

1897-1963 大正-昭和時代の俳優。
明治30年生まれ。大正7年新民衆劇団(第二新国劇)の旗揚げに参加。昭和にはいり,金井修一座を結成。浅草昭和座を中心に京都新京極,大阪道頓堀などの劇場で公演,剣劇スターとして人気をえた。昭和38年12月21日死去。66歳。京都出身。京都中学卒。本名は金尾修。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の金井修の言及

【剣劇】より

…その後〈第二新国劇〉をはじめとする剣劇劇団が続々と生まれ,〈新国劇〉が東京中心に公演するようになってから大阪では中田正造らを中心にした〈新声劇〉が生まれた。また2代にわたる梅沢昇(初世はのちに竜峰と改名)や,金井修,浅香新八郎,沢村国太郎らは,それぞれに一座を組み,全国の大衆演劇の大半が剣劇といえるほどの時代さえあった。そして〈ちょんまげ〉の任俠の徒の争闘を主題として義理人情をからませた長谷川伸,行友李風(ゆきともりふう),原巌,村上元三,佐々木憲らの作家がこれに好適の脚本を提供し,戦時色の深まるとともに剣劇はますます盛んに行われた。…

※「金井修」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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