金剛心院(読み)こんごうしんいん

日本歴史地名大系 「金剛心院」の解説

金剛心院
こんごうしんいん

[現在地名]宮津市字日置

宮津湾を東に望む山ぎわのあげにある。真言系単立寺院で、秘密山と号し、本尊愛染明王。

寺伝によると、平安時代創建で、初め宝光寿ほうこうじゆ院と号する勅願所であった。後宇多天皇が出家して大覚だいかく(現京都市右京区)に入った際、天皇に仕えていた千手姫も出家して願蓮と号し、当院で後宇多法皇の安穏を祈願した。千手姫は日置ひおきの北方たにの城主松田頼盛の娘で、応長元年(一三一一)これを伝え聞いた法皇から、金剛心院の院号と本尊愛染明王坐像を賜ったという。

一方「宮津府志」には「開山忍性律師也、はじめ宝光寿院と云、後二条院勅ありて金剛心院と改む」と記し、確かな説はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金剛心院の言及

【鳥羽殿】より

…鳥羽法皇は鳥羽殿北殿に36年(保延2)宇治平等院鳳凰堂を模した勝光明院(しようこうみよういん)御堂を造立し,東殿には37年に安楽寿院(あんらくじゆいん)九躰阿弥陀堂,39年に三重塔,40年に炎魔天堂と美福門院塔を造立した。47年(久安3)に安楽寿院の南に新御堂(九躰阿弥陀堂),54年(久寿1)には二階九間四面阿弥陀堂と二階三間四面釈迦堂からなる金剛心院(こんごうしんいん)を田中殿南に造立した。52年(仁平2)に鳥羽法皇の五十賀が鳥羽南殿で天皇の行幸を迎えて催されている。…

※「金剛心院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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