松永長頼(読み)まつなが ながより

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松永長頼」の解説

松永長頼 まつなが-ながより

?-1565 戦国時代武将
内藤如安(じょあん)の父。兄松永久秀(ひさひで)とともに三好長慶(ながよし)につかえ,天文(てんぶん)22年丹波八木城(兵庫県)城主となる。永禄(えいろく)8年8月2日荻野直正(おぎの-なおまさ)の丹波黒井城を攻撃中に戦死通称は甚介。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松永長頼の言及

【丹波国】より

…旧国名。丹後とあわせ丹州という。現在の京都府中部,兵庫県東部。ほとんどが丹波高地とよばれる山地から成り,平地は亀岡盆地,福知山盆地などごく少ない。
【古代】
 山陰道に属する上国(《延喜式》)。国名は,《古事記》では旦波,丹波が併用されており,《日本書紀》ではすべて丹波である。藤原宮跡出土木簡では例外を除いてすべて丹波であるから,おそらくは大宝令の制定・施行とともに丹波に統一されたと思われる。その名の由来は,《和名類聚抄》が〈太邇波(たには)〉と訓(よ)んでおり,田庭の義であろう。…

【松永氏】より

…戦国末期の武家。出自は阿波,山城西岡,摂津五百住などと諸説あるが,いずれも口碑の域を出ず未詳。しかし松永久秀の伯祖母妙精が播磨出身であることはほぼ確実。1533‐34年(天文2‐3)ころ久秀は三好長慶(ながよし)の右筆となり,42年には武将として南山城に進駐。弟の長頼は軍事的才幹に恵まれ,49年長慶の入京に伴って山科,大津方面の抑えを任され,53年には丹波八木城を陥れて丹波一国の支配を任され,守護代内藤家を継承した。…

※「松永長頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む