金子郷
かねこごう
入間市西部、加治丘陵南麓を東流する霞川流域に比定される。村山党金子氏の本領。「吾妻鏡」寛喜二年(一二三〇)六月一一日条には、同月九日金子郷に「雷まじり」の雨や降雹があったことが武蔵国在庁等から鎌倉幕府に報告されたとある。弘安三年(一二八〇)四月一三日、平(金子)広綱の後家尼妙覚は亡夫の遺状に従って遺領を配分、「武蔵国金子」などの屋敷・田畠は後家一期ののち知行することとして子の金子頼広に譲られ、同五年七月一六日幕府から安堵されている(「将軍家政所下文」金子文書)。また永和五年(一三七九)二月一六日には金子家重から金子郷内の屋敷が孫のいぬそうに譲与された(「金子家重譲状写」萩藩閥閲録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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