朝日日本歴史人物事典 「金子重右衛門」の解説
金子重右衛門
生年:寛延2(1749)
江戸中期の甲斐国(山梨県)八代郡金田村長百姓。寛政4(1792)年山梨・八代郡54カ村が,田安氏の不正な検見などによる年貢増徴策に反対し,陣屋へ強訴し,また寺社奉行へ駆込訴,老中松平定信へ駕籠訴を展開した一揆の指導者。頭取として獄門の刑に処された。文久3(1863)年に金重大明神に祭られるが,それは田安氏代官の勧告によるものだと伝える。この一揆は勘定方山下治助が,年貢増徴のため不正升(太升)を考案したことを契機としたと伝えられ,太升騒動と呼ばれ,重右衛門のほかに綿塚村三沢重右衛門(獄門),熊野村鮎沢勘兵衛(死罪),南八代村矢崎惣兵衛(遠島牢死)らが義民として顕彰されている。
(保坂智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報