金持村(読み)かもちむら

日本歴史地名大系 「金持村」の解説

金持村
かもちむら

[現在地名]日野町金持

高尾こお村の南東に位置し、北西流する板井原いたいばら川に沿って走る出雲街道沿いの谷間の村。北に宝仏ほうぶつ(一〇〇二メートル)を望み、街道沿いの村らしく、今も茶屋など商業にかかわる屋号を残す家が多い。村名は鑪山をもつ村、あるいはカヌチ、カナヂなど鍛冶の意に由来するといわれる(日野郡史)。加持とも記す。「源平盛衰記」巻一三によると、以仁王に仕えた長谷部信連は平家滅亡後伯耆に下り、「金持の辺」にいたが、のち源頼朝に伯耆国守護を命じられ、文治二年(一一八六)頃に能登国大屋おおや(現石川県輪島市)を与えられたという。「吾妻鏡」同年四月四日条によると、頼朝は信連の以仁王に対する武功を賞して御家人に列し、安芸国検非違所および庄公を与えている。一方、「平家物語」巻四(信連)は、信連の伯耆下向を治承四年(一一八〇)の以仁王挙兵に参加した咎によるとしている。長谷部氏家譜(長谷部家文書)には同年同じ理由によって当地に配流となり、寿永二年(一一八三)下榎しもえのきに移住したと記される。

中世の当地は金持氏の拠点とされる。元久二年(一二〇五)閏七月の平賀朝雅の乱を記した「愚管抄」巻六に「伯耆国守護武士ニテカナモチト云者アリケル」とあり、「吾妻鏡」同月二六日条にみえる金持六郎広親が当時の伯耆国守護を勤めていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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