日本歴史地名大系 「金持村」の解説
金持村
かもちむら
中世の当地は金持氏の拠点とされる。元久二年(一二〇五)閏七月の平賀朝雅の乱を記した「愚管抄」巻六に「伯耆国守護武士ニテカナモチト云者アリケル」とあり、「吾妻鏡」同月二六日条にみえる金持六郎広親が当時の伯耆国守護を勤めていたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世の当地は金持氏の拠点とされる。元久二年(一二〇五)閏七月の平賀朝雅の乱を記した「愚管抄」巻六に「伯耆国守護武士ニテカナモチト云者アリケル」とあり、「吾妻鏡」同月二六日条にみえる金持六郎広親が当時の伯耆国守護を勤めていたと考えられる。
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