金沢銅器会社跡(読み)かなざわどうきかいしやあと

日本歴史地名大系 「金沢銅器会社跡」の解説

金沢銅器会社跡
かなざわどうきかいしやあと

[現在地名]金沢市長町一丁目

村井家屋敷跡地で金沢製糸場に南接して建てられた銅器製造会社。明治一〇年(一八七七)開業、おもに海外向けの鋼器を生産した。面積は五七二坪(皇国地誌)。もと加賀藩士長谷川準也と弟大塚志良が同志三〇人とともに起業、資本金五千円で加賀象眼の水野源六、彫金の山川孝次らを頭取として、もと加賀藩細工所の細工人など熟練職工五〇余人を置いた。開業の年に内国勧業博覧会に大香炉を出品、受賞、翌年にはパリで開催された世界大博覧会に出品するなど、外国の嗜好を視察した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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