日本歴史地名大系 「金浦村」の解説 金浦村このうらむら 秋田県:由利郡金浦町金浦村[現在地名]金浦町金浦仁賀保(にかほ)海岸にあり、北は黒川(くろかわ)村、東は樋(ひ)ノ口(くち)村(現仁賀保町)、南は赤石(あかいし)川を挟んで赤石村と接する。海岸沿いに酒田(さかた)街道(北国道)が通じ、東には立井地(たていち)村(現仁賀保町)を経て院内(いんない)村(現仁賀保町)に達する街道がある。文禄元年(一五九二)八月二〇日付の仁賀保宮内少輔宛仁賀保兵庫頭知行宛行状(秋田藩家蔵文書)に村名があり、慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)には仁賀保郷の一村としてあげられる。 金浦村かなうらむら 兵庫県:朝来郡山東町金浦村[現在地名]山東町金浦野間(のま)村から東、磯部(いそべ)川の源流域に立地。但馬と丹波の国境に広がる夜久野(やくの)高原の南端にあたる。山陰道が通る。寛永一六年(一六三九)の知高帳に「金浦村」とみえ、カノウラの訓を付す。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図では高一〇三石余で、丹波福知山方面への道は降雪があっても牛馬が通ると記される。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙では高一〇三石余。鎮守の二国(にこく)神社の社号は氏子が但馬国金浦村と丹波国小倉(おぐら)村(現京都府夜久野町)にまたがることに由来するもので、「但馬世継記」では沢道彦命・沢道姫命・味沢姫命の三神とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by