金鐘寺跡(読み)きんしようじあと

日本歴史地名大系 「金鐘寺跡」の解説

金鐘寺跡
きんしようじあと

[現在地名]市来町大里

木場迫こばざこにあり、万年山と号し、曹洞宗であった。本尊は十一面観音。江戸時代は能登総持寺末。鎌倉時代に丹後局が建立して万年まんねん寺と称していたが、永和三年(一三七七)に市来氏(市来院郡司)が了堂を招請して開山とし、寺号を金鐘寺と改めた。了堂は総持寺大源の法嗣で、八幡神の霊夢により当寺の開山となったという。二世竹窓の時には七堂伽藍が整い、末寺美濃・越前・加賀諸国をはじめ領内の河辺(現川辺町)の宝福寺、下甑しもこしき(現下甑村)の常楽寺、大里おおざとの栄泉寺、川上かわかみの興園寺など四九寺があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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