日本歴史地名大系 「針浜」の解説 針浜はりのはま 宮城県:牡鹿郡女川町針浜[現在地名]女川町針浜万石(まんごく)浦の東岸に位置し、南は四度計沢(しどけざわ)峰で桃浦(もものうら)(現石巻市)に、北は永禅寺(えいぜんじ)橋で浦宿浜(うらしゆくはま)に接し、東は高白浜(たかしろはま)と接し、萱(かや)ノたわらという所からが針浜分であった。西は鵜(う)島までが村の範囲で、その先は根岸(ねぎし)村端郷渡波(わたのは)(現石巻市)であった。村名の由来は「安永風土記」によれば、元弘―建武(一三三一―三六)の頃後醍醐天皇の皇子が左遷され、当浜へ住居を構えた際、神祖彦火火出見尊の旧跡を残らず移したという。そこで彦火火出見尊が兄の釣針を失い、赤目の口から針を見つけた故事にちなみ村名にしたと伝える。なお針浜の旧跡・名石・滝などはその節に日向国から移されたものと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by